1965年1月13日、宮城県仙台市生まれ。

高校卒業後、上京しグラフィックデザインを学ぶ。デザイン事務所や通販会社などの様々な仕事を経験。1986年に結婚。一度は離婚するが復縁する。1994年に女性向け通信販売会社ピーチ・ジョンを設立する。
現在カタログ『PJ』は発行部数250万部。 直営店ピーチ・ジョン・ザ・ストアを全国に 17店舗展開。「元気・ハッピィ・SEXY」をコンセプトに、ランジェリー、アウター、アクセサリー、コスメなど幅広い製品をカタログで扱うと共に、常に新商材を探して飛び回る。
“女性のため”ということを徹底した輸入下着が大ヒットし、年商160億円以上の会社に成長。5人の子供を育てながら会社を経営。

女優の吉川ひなのとはピーチ・ジョンのCM出演以来親交があるほか、ライブドアの前社長堀江貴文とも親交がある。また、歌手の浜崎あゆみとは親友関係である。

2008年1月、野口は自身が保有していたピーチ・ジョンの株式(同社発行済み株式の51%)を、婦人下着最大手ワコールホールディングスの株式(当時の株価で約87億円)と株式交換、これによって野口は、ワコールホールディングスの発行済み株式の約4.6%を所有する、同社第4位の大株主となった。

ワコールHDは2011年5月、創業社長である野口を降格する方針を発表した。業績不振が理由で、野口は今後取締役として商品企画などに専念。

著書に、『愛と勇気』(ワニブックス)、糸井重里氏との共著『胸から伝わるっ』(朝日出版社)、『男前経営論』(東洋 経済新報社)がある。


野口美佳のことば、

「机上の勉強や資格を取得することが大切ではないとは言いませんが、それよりずっと重要なのは、現場に飛び込んで、どんどん体感することです。そして、いろんな失敗も経験してみるといい。トライ・アンド・エラーを繰り返していくうちに、仕事は楽しくなっていくし、成長も実感できるようになるはずです。ただし、同じ失敗は二度としないように。」

は、現場で得た情報をビジネスに転換した野口氏が語ると、とても説得力がある。


たかの友梨ビューティクリニック代表、美容家。新潟県生まれ。
理容師、美容師免許を取得後、1972年“エステティック”技術を学ぶため渡仏。
1978 年、「たかの友梨ビューティクリニック」を設立、エステティックサロン第1号店を東京・新大久保にオープン。
全国123店舗・1100名の女性を率いる企業の主宰者としても、その独特の 人材育成法が注目されている。
世界中のエステを取り入れた、新しいエステティックを日本に紹介している。
ミス・インターナショナル世界大会審査員長など、国際的な舞台でも活躍 中。



たかの友梨は、私生児として生まれてすぐに養子に出されて以来、非常に複雑な家庭環境に育つ。

しかも、小学 2 年生のころに厳しい祖母の元に預けられてからは、ひたすら労働の日々。

16 歳で、定時制高校に通うと同時に、理容師を目指して住み込みで働き始め、その後、 エステティック業界の第一人者として、腕一本で年商 200 億円を超える企業を築いてきた。

小学 1 年生のころ、一家心中する寸前で出会うことになったのが、養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」。

そのときの縁が、その数十年後まで紡がれていく。
今、たかの友梨は、この「鐘の鳴る丘少年の家」の、後援会会長を務める。

屋内体育館施設「たかの友梨レインボーホール」「レインボーガーデン」、食育のケ アハウス「たかの友梨レインボーハウス」を寄贈し、夏には施設の子供たちを東京ディズニーランドに招待、クリスマスにはプレゼントをしている。



「女の人は夢を買う」
という言葉が印象的。

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http://www.kenja.tv/index.php?c=detail&m=index&kaiinid=77

962年、新潟県生まれ。県立新潟高校から、津田塾大学英文学科に進学。在学中に、1年間、ブリンマー大学へ留学。大学卒業後の1986年4月、マッキン ゼー・アンド・カンパニー入社。
1988年、いったんマッキンゼーを退職し、ハーバード大学大学院へ私費留学。1990年、ハーバード大学にてMBAを取 得し、その後マッキンゼーに復職する。1996年、歴代日本人女性で3人目のマッキンゼーパートナー(役員)に就任。
1999年に株式会社ディー・エヌ・ エー(DeNA)を設立。
同年、マッキンゼーを退職し、DeNA代表取締役社長に就任。
2003年に内閣IT戦略本部員、2004年に規制改革・民間開放 推進会議委員、2007年には知的財産戦略本部コンテンツ・日本ブランド専門調査会委員に就任。

2009年10月、「グローバル時代におけるICT政策に 関するタスクフォース」国際競争力強化検討部会構成員に就任(現任)

南場智子のことば
「自分が楽しいと思った事をどんどんやっていく」


▼インタビュームービーはこちら
http://www.kenja.tv/detail_5847.html
<経歴>1927年9月16日東京府東京市麻布区(現東京都港区)に
外交官・元フィンランド特命全権公使の中村豊一・恒子夫妻の長女として生まれる。
父の転勤で幼少期をアメリカ・サンフランシスコ、中国・広東省、香港などで過ごす。
小学5年の時に日本に戻り、聖心女子学院に転入、聖心女子大学文学部英文科を卒業。
その後、父の勧めでジョージタウン大学およびカリフォルニア大学バークレー校の大学院で学び、
政治学の博士号を取得。

国連公使、ユニセフ執行理事会議長、国連人権委員会日本政府代表、
上智大学国際関係研究所長・外国語学部長、第8代国連難民高等弁務官(1990-2000年)他を務める。
2001年からアフガニスタン支援政府特別代表、2003年から国際協力機構(JICA)理事長。2002年、田中真紀子外務大臣の更迭時にはその後任に推す声もあった。曽祖父は元内閣総理大臣の犬養毅で、祖父は外交官で犬養内閣外相の芳沢謙吉。

母・恒子は元共同通信社長の犬養康彦や評論家の犬養道子、エッセイストの安藤和津の従姪にあたる。
夫・緒方四十郎(元日本銀行理事)は、朝日新聞社副社長や自由党総裁、
副総理をつとめた緒方竹虎の三男である。
緒方姓は竹虎の祖父・郁蔵(本姓大戸氏、備中(岡山県)出身)が緒方洪庵と義兄弟の盟を結び
その姓を名乗らせたことに始まる。


緒方氏は上智大学教授を経て、91年から10年間、国連難民高等弁務官として
アフリカ・アジア地域を中心に難民救助に奔走。退任後に執筆活動に入る。
しかし2001年の米国テロ事件をきっかけに「アフガニスタン支援首相特別代表」として
再び国際支援の舞台に戻る。その後、JICA理事長として国際援助に携わってきた。

最近では東日本大震災の被災地支援にも力を入れている。
世界各国にまたがる幅広い活動の底流には、女性の自立を促したり、
社会での役割をさらに高めたりするという思想がある。
女性の活躍が増えることが、国際協調や世界平和への道を近くするとの信念は強い。
国際協力機構(JICA)を2012年3月末で退任。在職8年余り、84歳での引退となる。


<緒方さんの言葉>

・女性の自立支援に目を向けよう
自国にいても生活が安定したりしない難民・国家再建問題において、
立場の弱い女性を守り、自立を促すことが大切という強い信念。
政府の方針でアフガニスタンの女性は教育や仕事の機会も少なく、一段と生活環境は厳しい。
それを緒方氏は、国家再建を第一に置きながらも、女性の就学や職業教育、地域社会の構築、
さらにマイクロファイナンス(小口金融)などを通して自立を促そうと考えた。

すべては人間への愛情で対処しよう
制裁を強めても、北朝鮮政府は何としても生き残る。
制裁だけではなく人道的な配慮も考えるべき。
制裁という法的なやり方だけはなく、人間としての愛情から対処することが正しいこともある。

母親の家庭教育が社会貢献の環境作り
家庭から公的な責任の意識を高めて、それを教育につなげていかなくては、
企業においても社会的責任を強く果たすという行動は増えない。
家庭教育を充実させることが、CSRなど社会貢献を高める環境作りになる。

新時代を女性に切り拓いてほしい
「女性と男性はサイクルが違うだけ」。
女性が子供を産み、育てることは確かに社会のキャリアを重ねるうえでハンディになる。
しかし「男性と同じサイクルを歩まなくても出産し、子育てするのも幸せであり、喜び」。

苦労はあっても女性には新しい時代を切り開いてほしい。