おはようございます

さばとは、高機能自閉症(ADHD)の
高校2年生。
4歳まで発語がなかったことは
以前にも何度も書いているのですが
今日は、発語のなかった頃のお話を
書こうと思います。










顔は無表情😑のことが多くて
時折見せる笑顔
に

母は癒されていました🎵
要求はクレーン。
大概、冷蔵庫まで連れて行かれ
腕を引っ張られ
喉がかわいて何か飲みたいんだな?
と母だけにはわかっていた頃
「お母さんが何もかもわかっているから
いけないんです。わからないフリを
してください」
と保健所で指導され
「どうしたの?冷蔵庫に何の用?」
母、わからないフリ🤷
「れ・い・ぞ・う・こだよ」
さばと
……やはり口を開くことはなく

そのまま引っ掻き攻撃開始。
わからないフリは
母の顔や腕に引っ掻き傷を
増やしただけに終わりましたチーン
わからないフリをしたって
しゃべらないじゃないか

痛い思いをしただけじゃないか

毎日、そんなことを思っていました。
無言で腕を引っ張っていたあの頃
さばとの心の中はどんなだったんだろう。
母にしか要求をせず
その要求も飲みたかったり食べたかったり
冷蔵庫が多かったな

なんて食いしん坊

しゃべれなくても楽しかったのかな?
母が一方的にべらべら喋ってて
お母さん、うるさいな

少しは黙ればいいのに

とか思われていたのかな?
さぞかし耳障り👂️💥だっただろうな

「お母さん、うるさいよ」
って言ってくれればよかったのにね。
娘ちゃんの2歳の頃のかわいいおしゃべりを
思い出しながら
長男のニコニコ愛想のいい笑いを
思い浮かべながら
あの頃のこと
時々思い出します。
毎日、子供のいる所に通うように
アドバイスされ
来る日も来る日も通いつめていたあの頃
他の子供たちの無邪気な笑顔が
心に突き刺さり毎日苦しかったな

よその子と比べて辛くなるなら
人のいる所へは行かない方がいい
そうも言われていましたが
結局家でボーッとしていても
辛かった母。
まだかわいい盛りの長男を
発達の妨げになると働いてもいないのに
保育園に預け、昼間はさばとと2人でした。
長男は、泣きながら
毎日バスに乗せられて保育園へ🚌
辛くても悲しくても
母は、外で人とふれあうことを
選んだのでした。
あの頃の経験って
おしゃべりするのに
何か役に立ったのかな?
毎日、通う母に話しかけてくれる
ママさんたちもいて
家でさばととふたりでいるよりかは
母にとっては
断然よかったな、とは思います。










あれから10数年の時が過ぎ
余計なことまで言うようになったさばとは
今日も元気に放デイです。
同じような悩みで苦しんでいる
お母さんがもし身近にいたら
やっぱり人のいる所に行くことを
すすめるかもしれないです。
でも辛くなったら無理しちゃダメとも
言うでしょうね。
今日は、いいお天気です🎵
今日も1日穏やかに過ごせますように🤓