職業
たまにはこんな話を・・・<6>
この間、タクシーの運転手さんと話をしていて考えさせられたことがあります。
タクシーの運転手が
「私はタクシーの運転手になったときに・・・」
「この職業は世の中に貢献出来る仕事じやないと思って・・・」
「自分で自分をだめにしてきた。」
「お客さんともトラブルは多いし、水揚げもあがらん。」
「家に帰ってくれば体もきつく、食事ものどを通らない。」
「そして、事故ばかり起こして・・・」
「本当にどうしようもない自分だった。」
「それで・・今はどうなんですか」とたずねたら
「今は気持ちを変えたら、タクシーの運転手にすごい生きがいを感じています。」
「タクシーには二分間乗る人もいれば、五分間乗る人も、十分間乗る人もいる。」
「たとえ、何分間かの短い、長いの違いはあったとしても、」
「その時間は乗ってきた人とのすばらしい出会いの時間なんだ。」
「その、素晴らしい大事な時間を気持ちよく乗ってもらい。」
「降りた後、その方が気持ちよく仕事をしてくれたとしたら、私はその人の仕事に間接的に貢献できているんだ」
「と本当に思うようになりました。」
「それからの私はお客様に気持ち良く乗ってもらうために、どんな近くであっても」
「にこにこして引き受けることが出来るようになりました。」
「そうすると事故も起こさなくなった。体の調子もいい。そして、自分を指名してくれるお客さんがどんどん増えました。」
「今はそういう状態なんです」

この方は、職業が変わったわけでも何でもないのです。
自分の思いを変えられたことで、仕事に対するカそのものが変わってきた。
私は「思いを変える」というのはこのことではなかろうかと思います。
与えられることを望むよりも、与えることに喜びを感じるということが、
素晴らしい自分をつくっていくことにつながるのだと思うのです。
この間、タクシーの運転手さんと話をしていて考えさせられたことがあります。
タクシーの運転手が
「私はタクシーの運転手になったときに・・・」
「この職業は世の中に貢献出来る仕事じやないと思って・・・」
「自分で自分をだめにしてきた。」
「お客さんともトラブルは多いし、水揚げもあがらん。」
「家に帰ってくれば体もきつく、食事ものどを通らない。」
「そして、事故ばかり起こして・・・」
「本当にどうしようもない自分だった。」
「それで・・今はどうなんですか」とたずねたら
「今は気持ちを変えたら、タクシーの運転手にすごい生きがいを感じています。」
「タクシーには二分間乗る人もいれば、五分間乗る人も、十分間乗る人もいる。」
「たとえ、何分間かの短い、長いの違いはあったとしても、」
「その時間は乗ってきた人とのすばらしい出会いの時間なんだ。」
「その、素晴らしい大事な時間を気持ちよく乗ってもらい。」
「降りた後、その方が気持ちよく仕事をしてくれたとしたら、私はその人の仕事に間接的に貢献できているんだ」
「と本当に思うようになりました。」
「それからの私はお客様に気持ち良く乗ってもらうために、どんな近くであっても」
「にこにこして引き受けることが出来るようになりました。」
「そうすると事故も起こさなくなった。体の調子もいい。そして、自分を指名してくれるお客さんがどんどん増えました。」
「今はそういう状態なんです」

この方は、職業が変わったわけでも何でもないのです。
自分の思いを変えられたことで、仕事に対するカそのものが変わってきた。
私は「思いを変える」というのはこのことではなかろうかと思います。
与えられることを望むよりも、与えることに喜びを感じるということが、
素晴らしい自分をつくっていくことにつながるのだと思うのです。
初月給
たまにはこんな話を・・・<5>
皆さんは働き始めて始めての給料をもらった時のことを憶えてますか?
何か買い物しました?貯金しました?
私の尊敬するA先生は「初月給は親のために使え」としつこく言われます。
先生は幼いころ、熊本で日用雑貨の行商をしていた両親のリヤカーに乗って育ちました。貧しい生活でしたから、寒い日のお母さんは首にタオルを巻いていました。お父さんの夢は、白いバンを腹いっぱい食べてみたいということでした。そんな記憶が残っていたものですから、初月給をもらった先生は、
お母さんにネッカチーフを、お父さんにはトースターをプレゼントしました。
お父さんは余程嬉しかったのでしょう。
一枚一枚自分で焼く旧式のトースターをその後永年、大切に使われたそうです。
その先生の話を聞いた某信用金庫に勤める二十歳の短大卒の女性が、
初月給を親のために使って喜んでもらおうと、両親をレストランに招待しました。お母さんは前日から、美容院にセットにいったりして大喜び。

ところが、お父さんはプスッと不機嫌な顔をしてお店についてきました。
「何を怒っているの?」と尋ねたら、
「一回の晩飯ぐらいで、俺が二十年間苦労して育てたことが帳消しになると思ったら、大問違いだぞ」と言う。
「そんなこと、どうして言うの?」と思ったけど、口に出しません。
今日はめでたい日だし、お母さんは横でもうパクパク食べはじめてるし、今さら怒って帰れない。
しばらく天丼を見つめていたお父さんが、ポツリと「ビールぐらい飲んでいいか?」と言いました。
「誰がビールなんかついでやるもんか」そう思ったけれど、つがなきゃしょうがないなと思って彼女はお酌をした。
ところが、コップを差し出したお父さんの手には、二十年間勤めたセメント工場での白い粉が、びっしり。
手の中のしわと毛穴にまで詰まっていました。
それに気づいた彼女は「お父さんゴメンネ」と言いたかったけど、どうにも言葉になりませんでした。
自宅に戻ったその後、彼女がトイレに行こうとして両親の部屋の前を通りかかったら、中から話し声が聞こえる。
どうせまた、お父さんが私の悪口を言っていると思ったら、それが違うのです。
「俺も五十いくつになるけれども今日みたいにおいしい晩ご飯は初めてだった。あいつの顔を見ていたら、俺は涙があふれそうになったから、天井しか見れなかったけど、なあお前、本当にいい娘に育ったなあ」。
その瞬間彼女はそこから先に足が進みませんでした。
そのまま自分の部屋に帰って、頭から布団をかぶって「バンザイ!」と叫んで、布団の中で朝まで泣き続けました。
この話を彼女は二十五歳の結婚披露宴のあいさつでしたんだそうです。
「あの先生の一言があったから、私は今、こうやって幸せになりました」

これが、私たちが今、置き忘れてきた"情"の世界なんですね。
点数にならない。そしてお金にもならない。
しかし、それを大事にして育てていかなきゃいけないんですね。
皆さんは働き始めて始めての給料をもらった時のことを憶えてますか?
何か買い物しました?貯金しました?
私の尊敬するA先生は「初月給は親のために使え」としつこく言われます。
先生は幼いころ、熊本で日用雑貨の行商をしていた両親のリヤカーに乗って育ちました。貧しい生活でしたから、寒い日のお母さんは首にタオルを巻いていました。お父さんの夢は、白いバンを腹いっぱい食べてみたいということでした。そんな記憶が残っていたものですから、初月給をもらった先生は、
お母さんにネッカチーフを、お父さんにはトースターをプレゼントしました。
お父さんは余程嬉しかったのでしょう。
一枚一枚自分で焼く旧式のトースターをその後永年、大切に使われたそうです。
その先生の話を聞いた某信用金庫に勤める二十歳の短大卒の女性が、
初月給を親のために使って喜んでもらおうと、両親をレストランに招待しました。お母さんは前日から、美容院にセットにいったりして大喜び。

ところが、お父さんはプスッと不機嫌な顔をしてお店についてきました。
「何を怒っているの?」と尋ねたら、
「一回の晩飯ぐらいで、俺が二十年間苦労して育てたことが帳消しになると思ったら、大問違いだぞ」と言う。
「そんなこと、どうして言うの?」と思ったけど、口に出しません。
今日はめでたい日だし、お母さんは横でもうパクパク食べはじめてるし、今さら怒って帰れない。
しばらく天丼を見つめていたお父さんが、ポツリと「ビールぐらい飲んでいいか?」と言いました。
「誰がビールなんかついでやるもんか」そう思ったけれど、つがなきゃしょうがないなと思って彼女はお酌をした。
ところが、コップを差し出したお父さんの手には、二十年間勤めたセメント工場での白い粉が、びっしり。
手の中のしわと毛穴にまで詰まっていました。
それに気づいた彼女は「お父さんゴメンネ」と言いたかったけど、どうにも言葉になりませんでした。
自宅に戻ったその後、彼女がトイレに行こうとして両親の部屋の前を通りかかったら、中から話し声が聞こえる。
どうせまた、お父さんが私の悪口を言っていると思ったら、それが違うのです。
「俺も五十いくつになるけれども今日みたいにおいしい晩ご飯は初めてだった。あいつの顔を見ていたら、俺は涙があふれそうになったから、天井しか見れなかったけど、なあお前、本当にいい娘に育ったなあ」。
その瞬間彼女はそこから先に足が進みませんでした。
そのまま自分の部屋に帰って、頭から布団をかぶって「バンザイ!」と叫んで、布団の中で朝まで泣き続けました。
この話を彼女は二十五歳の結婚披露宴のあいさつでしたんだそうです。
「あの先生の一言があったから、私は今、こうやって幸せになりました」

これが、私たちが今、置き忘れてきた"情"の世界なんですね。
点数にならない。そしてお金にもならない。
しかし、それを大事にして育てていかなきゃいけないんですね。
拍手
たまにはこんな話を・・・<4>
今の世の中、平凡だとか、地味だとかが疎まれる傾向にあるようです。
しかし、本当は平凡なことを平凡に続けることほど、非凡なことはないのです。
一人ひとりが自分に与えられた役割や仕事に対して、真摯(しんし)に取り組んでいくことの大切さを今一度、考え直したいものです。
ある雑誌を読んでいたら、目分の役割をまっとうすることの素晴らしさを示した話が載っていましたので、紹介したいと思います。
「バスと赤ちゃん」という題名で、女性の方が書かれたものです。
東京にいた、今から十六年ほどの前の十二月も半ば過ぎたころのことです。
私は体調を壊し、週二回、中野坂上の病院に通院していました。
その日は今にも雪が降り出しそうな空で、とても寒い日でした。
昼近くなって、病院の診察を終え、バス停からいつものバスに乗りました。
バスは座る席はなく、私は前方の乗降口の反対側に立っていました。車内は暖房がきいて、外の寒さを忘れるほどでした。
間もなくバスは東京医科大学前に着き、そこでは多分、病院からの帰りでしょう、どっと多くの人が乗り、あっという間に満員になってしまいました。
立ち並ぶ人の熱気と暖房とで、先程の心地よさは一度になくなってしまいました。

バスが静かに走り出した時、後方から赤ちゃんの、火のついたような泣き声が聞こえました。私には、人で見えませんでしたが、ギュウギユウ詰めのバスと、人の熱気と暖房とで、小さな赤ちゃんにとっては苦しく、泣く以外に方法がなかったのだ、と思えました。泣き叫ぶ赤ちゃんを乗せて、バスは新宿に向かい走っていました。
バスが次の停留所に着いた時、何人かが降り始めました。最後の人が降りる時、後方から、「待って下さい。降ります」と若い女の人の声が聞こえました。その人は立っている人の間を、かきわけるように前の方へ進んで来ます。その時、私は、子供の泣き声がだんだん近付いて来ることで、泣いた赤ちゃんを抱いているお母さんだな、と分かりました。
そのお母さんが、運転手さんの横まで行き、お金を払おうとしますと、運転手さんは、「目的地はここですか?」と聞いています。その女性は、気の毒そうに小さな声で、「新宿までなのですが、子供が泣くので、ここで降ります」と答えました。すると運転手さんは、「ここから新宿駅まで歩いて行くのは、大変です。目的地まで乗って行って下さい」と、その女性に話しました。
そして急にマイクのスイッチを入れたかと思うと、
「皆さん!この若いお母さんは新宿まで行くのですが、赤ちゃんが泣いて、皆さんにご迷惑がかかるので、ここで降りると言っています。子供は小さい時は、泣きます。赤ちゃんは泣くのが仕事です。どうぞ皆さん、少しの時間、赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行ってください」と言いました。
私はどうしていいか分からず、多分みんなもそうだったと思います。ほんの何秒かが過ぎた時、一人の拍手につられて、バスの乗客全員の拍手が返事となったのです。若いお母さんは何度も頭を下げていました。

今でもこの光景を思い出しますと、目頭が熱くなり、ジーンときます。私のとても大切な、心にしみる思い出です。
私はこの運転手さんが「私にとって、ここは大事な職場なんだ。
乗客の一人ひとりを安全に目的地まで届けることが役割なんだ」といつも心がけられているから、このような行為ができたのだと思います。
そして、その思いが乗客に通じたからこそ、拍手になってかえってきたのだと思います。
今の世の中、平凡だとか、地味だとかが疎まれる傾向にあるようです。
しかし、本当は平凡なことを平凡に続けることほど、非凡なことはないのです。
一人ひとりが自分に与えられた役割や仕事に対して、真摯(しんし)に取り組んでいくことの大切さを今一度、考え直したいものです。
ある雑誌を読んでいたら、目分の役割をまっとうすることの素晴らしさを示した話が載っていましたので、紹介したいと思います。
「バスと赤ちゃん」という題名で、女性の方が書かれたものです。
東京にいた、今から十六年ほどの前の十二月も半ば過ぎたころのことです。
私は体調を壊し、週二回、中野坂上の病院に通院していました。
その日は今にも雪が降り出しそうな空で、とても寒い日でした。
昼近くなって、病院の診察を終え、バス停からいつものバスに乗りました。
バスは座る席はなく、私は前方の乗降口の反対側に立っていました。車内は暖房がきいて、外の寒さを忘れるほどでした。
間もなくバスは東京医科大学前に着き、そこでは多分、病院からの帰りでしょう、どっと多くの人が乗り、あっという間に満員になってしまいました。
立ち並ぶ人の熱気と暖房とで、先程の心地よさは一度になくなってしまいました。

バスが静かに走り出した時、後方から赤ちゃんの、火のついたような泣き声が聞こえました。私には、人で見えませんでしたが、ギュウギユウ詰めのバスと、人の熱気と暖房とで、小さな赤ちゃんにとっては苦しく、泣く以外に方法がなかったのだ、と思えました。泣き叫ぶ赤ちゃんを乗せて、バスは新宿に向かい走っていました。
バスが次の停留所に着いた時、何人かが降り始めました。最後の人が降りる時、後方から、「待って下さい。降ります」と若い女の人の声が聞こえました。その人は立っている人の間を、かきわけるように前の方へ進んで来ます。その時、私は、子供の泣き声がだんだん近付いて来ることで、泣いた赤ちゃんを抱いているお母さんだな、と分かりました。
そのお母さんが、運転手さんの横まで行き、お金を払おうとしますと、運転手さんは、「目的地はここですか?」と聞いています。その女性は、気の毒そうに小さな声で、「新宿までなのですが、子供が泣くので、ここで降ります」と答えました。すると運転手さんは、「ここから新宿駅まで歩いて行くのは、大変です。目的地まで乗って行って下さい」と、その女性に話しました。
そして急にマイクのスイッチを入れたかと思うと、
「皆さん!この若いお母さんは新宿まで行くのですが、赤ちゃんが泣いて、皆さんにご迷惑がかかるので、ここで降りると言っています。子供は小さい時は、泣きます。赤ちゃんは泣くのが仕事です。どうぞ皆さん、少しの時間、赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行ってください」と言いました。
私はどうしていいか分からず、多分みんなもそうだったと思います。ほんの何秒かが過ぎた時、一人の拍手につられて、バスの乗客全員の拍手が返事となったのです。若いお母さんは何度も頭を下げていました。

今でもこの光景を思い出しますと、目頭が熱くなり、ジーンときます。私のとても大切な、心にしみる思い出です。
私はこの運転手さんが「私にとって、ここは大事な職場なんだ。
乗客の一人ひとりを安全に目的地まで届けることが役割なんだ」といつも心がけられているから、このような行為ができたのだと思います。
そして、その思いが乗客に通じたからこそ、拍手になってかえってきたのだと思います。