何事も、「よし、やるぞ」という気合がなければ物事進められない。
僕自身、怠惰な人間だからこそ「やる気の出し方」さえわかれば苦労が無いのにと感じる場面が多い。
そんな僕でも、やる気が出る場面がある。孤独を感じているとき、何かに飢えているとき、そんな時こそやる気が出てくる。文章を書いているときは、常に満たされない気持ちを文字に載せて、駄文を書きなぐっている。
加えて、眠れない夜にやる気が生まれる。(まあ、眠れない夜は、孤独と絶望に苛まれているからだろう。)
僕は、生まれてから否定されてきた。家族に否定され、教師に否定され、友人に否定され、僕の人生は否定の連続によって形作られてきた。誰かに認められたい、完全に肯定されたいという欲求が約二十年生きてきた僕が求める唯一の願いだ。
やる気が出るのは、誰かに認めてもらいたいという「自己承認欲求」が歪な形で表れている。その一形態として、文章を書くことを行っている。
認められたいが為に、僕は初対面であっても自分の話をしてしまう、お喋りになってしまう。そんな自分に嫌悪を抱き絶望する。少しでも、僕に興味があると思ってしまうと、すぐに心を開き僕を受け止めて貰おうと必死になる。歪なやる気を発揮して。僕は、いつも母を探している。海よりも広い母性で包み込んでくれる母を。幼児期から小学校低学年にかけての愛されていない体験が、気持ち悪い僕を作り出してしまっているのだろう。
前回の文章で書いた疎外への異常な恐怖は、愛されないことが僕の中で死と同義であるからこそ生まれ出たものだ。
僕の精神的な弱さによって、中学・高校・大学と数多くの人々を傷つけてきた。出来ることならば、そのすべての人々に謝りたい。