2013年度佐藤一彦クラス基礎演習のブログ

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~「テレビ」を作ることはやっぱり面白い!~
基礎演習12担当 佐藤一彦
(映像身体学科教授)

 1970年代末から80年代なかばにかけて、日本のテレビジョンが一番おもしろかった時代に、ほとんど自分の青春のすべてを投入するかのように、ひたすらテレビ番組をつくる仕事を続けていた。それから30年以上たって、今でも年に一本程度は番組をつくっているが、(加えて、テレビ番組に与える賞の審査員などという、しょうもない仕事までやっている=猛反省)。あの頃のテレビの面白さが忘れられず、それをなんとか現代の大学生に伝えたいと思い、この演習科目を計画した。USTREAMを使ってインターネット上で長時間の生放送をおこなう試みだ。ケータイやネットにひたりテレビを見なくなってしまった現代の若者に、テレビの面白さを少しでも伝えたいと思い、この授業を進めている。  

 テレビの面白さは何といっても「生」につきる。流れている時間の波に乗りながら、そこから振り落とされないように、時間に沿って正確に放送を送り出す。この緊張感と絶頂感は数ある映像制作の仕事の中でも、おそらくサイコーのものだ。しかも、かつては大型中継車など1億円近くはする巨大な機材を用いてしかできなかったマルチカメラによる生放送が、今はデジタルとインターネット技術の進化によって、台車数台で運べるほどの機材量で可能になった。今回はカメラ4台にスイッチャー1台、USTREAMを送り出すPC2台など、学生には多少ぜいたくなものを揃えているが、それでもせいぜい総額数百万円程度のことだろう。私が若かった頃から三十年近くを経て、まず、機材の価格が劇的に安くなり、画質もSDからハイビジョンへと格段に向上しただけでなく、なにしろネット放送にはホンモノの放送のように「免許」がいらない。誰でもやりたいと思った者が、やりたい時に、自由に生放送をすることができる。これはとっても画期的なことだ。加えて、今回のように、プロデューサーからディレクター、スイッチャー、音声、照明、司会者陣に至るまで、すべてを学生が担当しているのもすごいことだと思う。この演習授業をとおして、生放送をとおして、存分にこういうことの面白さ=テレビジョンの面白さを体験してほしいと心から思う。

 だが、初めて番組をつくる学生たちには、けっこう難題の連続であっただろう。生放送のスタジオ進行は「いっさいミスが許されない」から当然のこととして、そこで出していくミニ番組や疑似CMの作り方にも私はプロ水準での高く厳しい注文を出し続けてきた。まず、企画そのものがナットクできるものであること。撮影が企画意図にかなった方法でなされヘタクソでないこと。編集はきちんとしたリズムとロジックをもってなされていること。字幕は正しい日本語で綴られていることなど。そしてなにより、できあがったものが「圧倒的に面白い」ことだ。それに、これは自主制作ではないのだから、参加する学生は、担当教員であり、総合プロデューサーである私を、すべての面において説得し、ナットクに導くものでなければならない。そういう姿勢で企画の採択をし、編集チェックをし、スタジオ台本の作成にのぞんでいる。

 全力をつくして面白いものを作り上げる。考える。考え抜く。努力する。手を抜かない。あきらめない。目の前の困難から決して逃げ出さない。クリエィティブな仕事とはそういうものだ。そこからこそ「面白い仕事」の体験が積み重ねられていき、結果として自分の表現能力が上がるのだ。

 ところで、生放送の醍醐味は「瞬間瞬間が勝負だ」ということだ。カメラはねらったものの不意な動きにも対応しなければならず、スイッチャーはボタンの切り替えをするために全身の神経を指の先に集めておかなければならない。司会者は隣に座った相方のアドリブに戸惑わずに答えなければいけないし、ディレクターはすべてのスタッフの動きに眼を配り、ミスを万全に防ぎ、テンポよく番組を組みたてなくてはならない。プロデューサーは起こりうる不測の事態をあらかじめ予想し、その可能性を事前に消し去っておかなければならない。これはほとんどプロスポーツの一流選手や監督に求められる能力と似ている。だから生放送は、始まってしまったスポーツ競技に途中から参加するようなものだ。失敗するかもしれないから緊張もするし、その緊張を克服する能力を自分に備えようとする。一度にいくつもの判断を瞬時にやらなければならず、それはサッカー選手の動きにも等しい。優秀な投手のように、ねらった瞬間をはずさないコントロールも必要だし、大勢のディフェンダーの中をドリブルですり抜けるストライカーの運動神経も求められる。それが生放送だ。テレビジョンの面白さだ。

 だが、それは必ずしも上記のような瞬間芸ばかりだからではない。「生」とは、言い換えれば「今とは何か?」という問いに常に答えようとし、常に適確に反応するということでもある。だから、企画を考えるときも「今」を忘れてはならないし、編集をするときも「今」を前提にカットを決めていく。映画芸術とテレビジョンとが大きく異なるところはここだ。だから、テレビジョンで歴史的な要素を扱った場合でも「今」を描く必要があるし、描かなければテレビとして伝える必要はない。「今」はどこにでも存在する。あるいは「今」はどんな細部にも宿っているものだ。それほど「今」は大事だし、「今」を感じなければテレビジョンの仕事をやっているほとんどの意味がないとさえ、私は思っている。

 テレビの修業時代に、番組のさまざまな作り方を教えてくれたたくさんの先輩がいたが、中でもテレビマンユニオンの創業者のひとりで、テレビ第一世代を代表する作り手でもあった故・村木良彦さんは、晩年テレビ制作の現場を離れられたあとで、次のような印象深いことばを残されている。「いま私はテレビ番組を作ってはいないが、私は現役のテレビ制作者だ。なぜなら私がいるところがテレビジョンなのだから」。この言葉を思い出すと私は胸が熱くなる。今の私もまったく同感だからだ。テレビ番組をつくる仕事を三十年以上続けてきて、今は大学の教員として大学生たちに映像の作り方を教えているが、私は今も現役のテレビマンだと自分では思っている。だって、私がいるこの場所が、この時空間こそが、「テレビそのもの」だからだ。

 テレビをつくることは面白い。誰がなんと言おうと面白い。面白いから、そういうことに関心がある若い人にはぜひ体験してほしい。この演習授業でのUSTREAM生中継が、その最初の一歩として役立つことを切に願っている。


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