上司という立場になると、
「部下を育てなければ」という
使命感が生まれるもの
部下やメンバーに
「こうなってほしい」と理想の
ビジョンを描くことも多いはず
その理想が高ければ高いほど、
部下の言動ひとつひとつが気に
なって、指摘したり、指導したり
でも、一度立ち止まって考えなくては
いけないのは、自分自身の心の状態
部下の成長を望んで発したはずの
言葉は、本当に
「部下のため」だったのか
それとも
「自分のため」だったのか
仕事で部下のミスを見つけた時、
あなたが発した言葉
それはどこから来ているのか?
一瞬悲しさや虚しさを感じた直後に
生まれた「怒り」から発した言葉なら、
それは、自分を守るための感情を
言葉にしただけに過ぎない
「次から同じミスをしてほしくない」と
部下にリクエストしているだけの言葉
怒りから生まれた言葉は
部下に伝わり、部下の成長に繋がるのか
怒りの感情のまま
「ミスをした原因は?」と詰問されても
部下の脳裏には
「あなたのせいよ!!」と言われたと
しか伝わらないはず
一方、相手の存在を認め、言動の
間違いを指摘し正していくのが
「叱る」
部下の存在を認めた上で、発する言葉は
きっと
ミスの再発防止のための改善策や、自分の
経験値からのアドバイスを提示した上で
部下にも意見を求め、受け入れる姿勢になるはず
部下に伝わるのか、伝わらないのかは、
部下の聞く姿勢云々の前に
要は上司次第ということ
自分の席に戻る部下が
怒られただけの悲壮感が漂う背中なのか、
ミスから何かを学び、成長した前向きな
背中なのか
部下の成長の使命感に燃えるのは
多いに結構
でも同時に自分自身がセルフコントロールを
出来ているかに目を向けてみては
どうだろう