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サトブロです

長崎市浜町の美容室「SHINJU INTERNATIONAL」の美容師・佐藤雄樹のブログ

『佐藤さん、本気本出せそうですね』

最近の僕のブログを見て

後輩の生ちゃんから言われました。



出さねーよ(笑)


今、ビジネスツールとしての、ブログやTwitter、Facebookなどのソーシャル集客が謳われています。

鬼のように。


これは完全に僕の持論なのですが、『ソーシャルは集客に使えるか』という問いには、僕は『どちらでもない』という立場をとります。

曖昧にしてるんじゃなくて、ちゃんとした理由があります。

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この『集客』という部分だけに着目して、ソーシャルを使うということに関しては、僕は大反対の立場です。

そもそも、ソーシャルは『インターネット上のコミュニケーションサービス』で、あくまでもツール、集客やビジネスの為にあるわけじゃない。

そんな『使い方』を定義する必要がない。

ワイワイ楽しくやればいいだけなのだ。

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はなから頭でっかちになって、始めたら何か集客に使えるらしいよ?程度の知識で始めるから、何かおかしくなるのだ。

『Facebookを使った◯◯』的なニュアンスのビジネス本や集客本やセミナーなんかは、まず疑ってかかった方がいい。

彼らはFacebookを利用して、自らのビジネスにしてるだけだす。

そんな事して何が楽しいのだろう。

関係者の方いたらすみませんw

ただ

結果論として、ソーシャルが集客に反映された例はたくさんあるし、『本当に使えないの?』と言われると『使える』と言わざるを得ない。

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そのツールの特性を理解した上で『自分の考える自己表現』をすればいいだけのこと。

それに共感をしてくれる人達が集まってくる→それが結果として集客に繋がるかも知れない、というだけの話です。
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でもま、その為のツールって思ってる人には甘い甘いとか言われそうですけどね(笑)


あくまでもツールですからね~。

だから『どちらでもない』。
使い方は人それぞれです。


1番大切なのは『情報を見極める目』を持つことで、この情報操作された世の中で、他人のいう事を鵜呑みにして流されて行くのはよろしくない。

常に自分のフィルターを通し、些細なことでも考える癖を付け、何故の追求を怠らないこと。

そうなれば、ソーシャルももっと楽しくなると思います。

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そのフィルターの精度を上げる努力をしないとダメですな~。

もっと勉強しよう☆

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本日のレッスン、ロングレイヤーのブローをした私。

普段のサロンワークで、お客様にブローをすることがほとんどないので、ちょっと、やってみました。

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なんでやらないかって言うと。

僕の師匠である社長のカットの基本概念は再現性。

美容室でカット、スタイリングしたスタイルをお客様がお家でも再現出来るかってことです。

人にはそれぞれ生えぐせや髪の毛そのもののクセがあるから、ブローするとそれがわかんなくなる。

なのでハンドブローのドライカットが
1番ナチュラルでお客様には再現しやすいスタイルってことになります。

絶対ブローします!って人は別ですけど、やらない人が多いんじゃないかなー。

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仕上げでブローもほとんどしない。
ナチュラルなその人そのもののクセを生かす!

でもやっぱりブローしたら綺麗☆


アイロンばっかじゃなくて、たまにはやらないとですね。

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そっから巻いてみた☆


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ってかこれ可愛いー!


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iPhoneからの投稿
こんばんは。

本日は全体ミーティング。
パートさん含め、全社員が集まる月1のミーティング。

たった今終わり、家路についている途中でブログを書いています。

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ミーティングの後は、やっぱり色々と考えてしまいます。

お店のこと、自分のこと、会社のこと、これからどこに向かおうとしているのか。

人の価値観というのは、ひじょーーーーーーに難しく、この『価値観』というワードは、永遠のテーマになりそう。

人は人との関わりの中で生きているから、誰しもが大人になるにつれ、感じることでしょう。

仕事が充実している人もいれば
うまくいってない人もいて
週末を楽しみに自分を殺し働いている人もいれば
事故表現と仕事がマッチして楽しくて仕方がなく働いている人もいるだろう。

でも、その判断すらも『価値観』によって様々に姿を変える。

んー本当に難しい。

最近感じるのは、『asは常に変化する
』ということ。

TPOによって、自分という主体は必ずしも同価値をもった存在ではなくなる、ということ。

その中で人は、うまく表情を変え対応するのだな、と。

上手い生き方とでもいいますか。
賢い生き方といいますか。

でもこれを下手な生き方、馬鹿な生き方と考える人もいるでしょう。


答えなんて無く、やっぱり『自分がどうありたいか』という信念の部分が大切なんだろうな。

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これだけ情報が散乱している今の時代は、おそらくは昔の時代に比べて、この『迷いのようなモヤモヤ感』なるものが、相対的に多いと僕は考えている。

今は知ろうとすればするだけ、自分の欲しい情報はどれだけでも仕入れられる。逆に欲しくない情報も。
その媒体も、昔に比べると遥かに多い。
昔っていつやて話けど。

昔はさ、例えば一組織に所属していれば、その上司や社長やその団体の核となる人達が絶対だったわけで、ある意味それでオールオッケーだったわけで。
その過程に違和感のような感情はあまり存在しなかったかも知れない。

むしろ尊敬の念を抱き、その組織は一つの方向に向かって一心不乱に突き進めたと思うわけで。

天皇万歳の時代とか、侍の文化とかは極端だけどそんな感じでしょ。

それはそれでかなりいい感じだとも言える。
逆に言えば、危なくもあるよね、当然。

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今はさ、『価値観』が多様化して、昔は確固たるものだった、『組織としての信念』が一致しなくなる可能性が高くなってる訳だ。

仕事の種類も増えただろうし、色んな生き方が出来るようになったし、それこそ『個性』が尊重される時代になったし。

圧倒的なリーダーシップが薄れて来て、『あなたはあなた、私は私』みたいに考える時代になった。


足して2で割れば丁度いいのにね。


でも間違いなく言えることは、『時代は変化してきた』と言うことで、不変を貫いて来たものはこの世の中にはあまりない、ということ。

だから、『変化することは必ず必要』。

何故、変化してきたかと言えば、やっぱり昔みたいな社会の在り方に対して異議や疑問や違和感を唱えてきた人達が、どの時代にも必ず居たってことになるから。

それは長ーーい目で見ても、目の前だけ見ても、時代はそれを繰り返して『今』があるのだから。


この『価値観』という永遠のテーマと題うった言葉の裏には、そういった『繰り返しの連続』が隠れていると、そう思う。

だから答えなんてのはあるはずがない。

いつの時代も、変化を繰り返して来たのなら、今、この瞬間も変化をしている最中なのだ。

だから、僕はこの『考える時間』を大切にし、今を生きる為には何が必要なのかを考え続けないといけないんだろうなと、ファミリーマートのベンチで、このブログを綴っています。



さて、帰ろうかね。

帰ったら、アフロートBOXが待ってるぞ☆

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