バリエーション多彩なボブスタイル。
もはや鉄板です。
ショート女子推進委員会の知名度は、少しずつ上がってきていると実感。
『バッサリ行こうかな』
『ショートにしたい』
そんな声が最近チラホラ聞こえてきます。
最近のがっつりカットからのショートスタイルを3点紹介しようと思ったけど、1つ写真撮るの忘れてたので、2点紹介。
まず桃ちゃん。
軟毛の彼女は伸ばす意向でここまできたけど、絡まるし、ボリューム出ないし、手入れめんどくさい、とのことで断髪。
前上がりのマッシュベースボーブ!
可愛いぞ!
次は南ちゃん。
彼女も軟毛。
やはり伸ばしてたけど、断髪決行!
こちらは、今はあんまりいない水平ボブ。
襟足からサイドまで一直線!
これまた可愛いぞ!
ボブと一言で言っても、スタイルは千差万別。
あなたに似合うボブスタイル、やったことないボブスタイルに是非挑戦してみてください!
iPhoneからの投稿
国境線なんか俺が消してやる
案の定の寝休日から抜け出せない月曜日、いつぶりか『GO』を見た。
相も変わらずいい映画だった。
僕の邦画癖はたぶんGOからだ。
2001年てったら11年前だから、14歳の時だ。
中学生の僕はたぶんGOで描いているテーマもろくに分からぬまま、ただ窪塚のかっこよさと、柴咲コウのパンチラに浸ってたような気がする。
初めて見たのはレンタルビデオだったから、中3くらいかな?
裏表紙の、何かをぶった切るような謳い文句に、知らず知らずのうちに僕の手はそれを離さなかった。
当時は分からなかった劇中の細かい描写が、今になって伝わってきたり、もっと客観的に見えたりした。
映画ってのは終わりがないと思っていて、特に単館でやってるような邦画は、見る人の価値観や見方によって残るものが何通りにもなるような、分かりやすいエンディングや構成でできてるストレートな映画にはない、何とも言えない後味の残る、正にサトウ好みのものが多い。
年を重ねて同じ映画を見ると、感じることが一緒だったり、全然違って見えたりするから、これまでの自分が生きてきた背景やそこから生まれた価値観を垣間見ることが出来る。
初めてGOを見たあの日から今日に至る現在まで、色んな価値観に触れ、色んな人に出会い、沢山の感情を体験し、自分は『広い世界を見てきたんだ』と、感じることができた。
俺は何人だ、いや何者だよ
俺はライオンだ
ライオンは自分のことライオンだなんて思ってねーんだよ
おめーらが勝手につけた名前じゃねーか
名前なんてどーでもいいんだよ
じゃあ俺はエイリアンだ
てゆーか、何者でもねえよ
物体Xだ
俺めんどくせえな
俺は誰だよ
文句あるか
決めた、韓国人になる
僕たちは国を持ったことはありません
日本の高校にいく
『在日』ってことはいずれ俺らは出ていけってことか
俺は何者でもねーんだよ
俺は俺なんだよ
俺は俺であることすら捨ててやる
あたしの名前は桜井椿
めちゃくちゃ日本人みたいで怖くて言えなかった
俺の名前はリージョンホ
ブルースリーのリー
めちゃくちゃ外国人みたいで怖くて言えなかった
名前って何?
バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても 美しい香りはそのまま
人は何の為に生まれて生きているかなんて、そんな壮大なテーマじゃなくとも、今ここに自分が居るならば、生きているなら色んな事を知る必要があるだけだ。
一生のうちに得られる知識や経験など限られていて、価値観や道徳や宗教や社会の中で生まれるモノを全て知るなんて無理なんだから、例え狭い世界だろうとそれを自分の人生に組み込んで考えて試行錯誤して行動していけば、生きている意味など後からついてくる。
無関心が最大の罪。
「狭いかもしれない世界の中で広い世界を見るんだ」
知ったことを自分の中に残すのか残さないのかは自分で決めればいい。
それが自己表現。
自己表現に没頭出来るのは、最高にかっこよくダサいことでもあるのです。多分。
そうやって常に変化しながら、死ぬまで知り続けていけるような人間でありたいと、そう思った次第です。
「GO」いい映画です。
サクッと感が。
GO(Wikipediaへ)
iPhoneからの投稿
案の定の寝休日から抜け出せない月曜日、いつぶりか『GO』を見た。
相も変わらずいい映画だった。
僕の邦画癖はたぶんGOからだ。
2001年てったら11年前だから、14歳の時だ。
中学生の僕はたぶんGOで描いているテーマもろくに分からぬまま、ただ窪塚のかっこよさと、柴咲コウのパンチラに浸ってたような気がする。
初めて見たのはレンタルビデオだったから、中3くらいかな?
裏表紙の、何かをぶった切るような謳い文句に、知らず知らずのうちに僕の手はそれを離さなかった。
当時は分からなかった劇中の細かい描写が、今になって伝わってきたり、もっと客観的に見えたりした。
映画ってのは終わりがないと思っていて、特に単館でやってるような邦画は、見る人の価値観や見方によって残るものが何通りにもなるような、分かりやすいエンディングや構成でできてるストレートな映画にはない、何とも言えない後味の残る、正にサトウ好みのものが多い。
年を重ねて同じ映画を見ると、感じることが一緒だったり、全然違って見えたりするから、これまでの自分が生きてきた背景やそこから生まれた価値観を垣間見ることが出来る。
初めてGOを見たあの日から今日に至る現在まで、色んな価値観に触れ、色んな人に出会い、沢山の感情を体験し、自分は『広い世界を見てきたんだ』と、感じることができた。
俺は何人だ、いや何者だよ
俺はライオンだ
ライオンは自分のことライオンだなんて思ってねーんだよ
おめーらが勝手につけた名前じゃねーか
名前なんてどーでもいいんだよ
じゃあ俺はエイリアンだ
てゆーか、何者でもねえよ
物体Xだ
俺めんどくせえな
俺は誰だよ
文句あるか
決めた、韓国人になる
僕たちは国を持ったことはありません
日本の高校にいく
『在日』ってことはいずれ俺らは出ていけってことか
俺は何者でもねーんだよ
俺は俺なんだよ
俺は俺であることすら捨ててやる
あたしの名前は桜井椿
めちゃくちゃ日本人みたいで怖くて言えなかった
俺の名前はリージョンホ
ブルースリーのリー
めちゃくちゃ外国人みたいで怖くて言えなかった
名前って何?
バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても 美しい香りはそのまま
人は何の為に生まれて生きているかなんて、そんな壮大なテーマじゃなくとも、今ここに自分が居るならば、生きているなら色んな事を知る必要があるだけだ。
一生のうちに得られる知識や経験など限られていて、価値観や道徳や宗教や社会の中で生まれるモノを全て知るなんて無理なんだから、例え狭い世界だろうとそれを自分の人生に組み込んで考えて試行錯誤して行動していけば、生きている意味など後からついてくる。
無関心が最大の罪。
「狭いかもしれない世界の中で広い世界を見るんだ」
知ったことを自分の中に残すのか残さないのかは自分で決めればいい。
それが自己表現。
自己表現に没頭出来るのは、最高にかっこよくダサいことでもあるのです。多分。
そうやって常に変化しながら、死ぬまで知り続けていけるような人間でありたいと、そう思った次第です。
「GO」いい映画です。
サクッと感が。
GO(Wikipediaへ)
iPhoneからの投稿










