先日、とある美容学校に会社説明会に行かせて頂きました。
社長抜きで。
プレゼンってのは難しいもんで、なかなかどうして思った通りに事が進みません。
特に相手はバリバリの現役美容学生。
4年目で感覚が近いかと思いきや、学生の質ってのは毎年ガラリと違うものです。
若いオーラ満載。いつもどっちかと言えばおっさんみたいな生活してるので、圧倒されました。美容師失格!笑
説明会を聞いた皆さん、いまいち要点がまとまってなくてすみません。
ここで懺悔します。もっとちゃんと色々聞きたい事がある方は、是非サロン見学に来て下さいね。
という訳で、あの場じゃあんまり伝えれなかった大事な話をここでしたいと思います。(誰もおらんかったら意味なし。笑)
もしかしてサトブロを見てくれているかもしれない長崎の美容学生のみんな。聞いてくれ!笑
一応、僕は福岡の業界じゃ有名な美容学校を卒業したんで、それなりに就職の厳しさとかマナーとか学んで来ました。ってか別に福岡が凄いて訳じゃないけど、一応日本でも1,2を争うサロン激戦区・大名がある街やし、学生運営のサロンも日本初で持っとるし、やたら金かけとる分、色んな体験出来るし、何より長崎よりもハードもソフトも情報が多いってことで、それなりにメリットはあります。
就職に限っての話をすると、毎年の傾向からして長崎の美容学生は動き出しが遅すぎます。
これは本当に致命的です。遅くても1年生の後半くらいから意識しないと。
2年生になってからではすでに遅い。本当に行きたい美容室がある子は1年生の最初のうちからガンガン自分をアピールしてます。もし行きたいとこがなくても、どこでもいいからとにかく色んなサロンに足を運ぶ事。
そしたらサロンの傾向が何となく見えてきます。
「こんなとこで働きたい!」「ここはイマイチやな。」みたいな感じで。
自分がどういう美容師になりたいかってのは、その行動量で決まるって言っても過言ではないです。
早いうちになりたい美容師像を決めないと、サロン選びに苦労します。
僕がそうでした。笑
僕は学生の時、それに気付かずにぐーたらしてたんで、何もかも中途半端で3社落ちて、どーしようか切羽詰って、捨て身で今の会社受けたら奇跡的に拾われました。感謝。
僕は一応、グダグダながらも運が良くて、本当はもっと早めに定めなくちゃいけない「なりたい美容師像、将来の夢」ってのを就活中に見つけられて、なおかつ恩師のお陰もあって、最高の会社に入れたし、尊敬できる人の下で働かせてもらってます。
なりたい美容師像がハンパなままイメージだけでサロンを選んだり、あんまり調べないで就職が決まった子たちはたいがいすぐ辞めます。か、すんごいストレスに襲われます。これは僕の同級生でもそうだし、美容師仲間から聞く話でもそうだし、実際に見てきた子たちでもそうです。
という訳で、僕みたいにならないように、早く動いた方がいい。
その最大の理由は、どんどん採用枠がなくなるってこと。
どこでもいつまでも募集してると思ったら大間違い。
みんなのライバルはクラスメイトじゃくて、全国各地にいる美容学生2年生!ここ重要!
早いとこは(特に大阪)4月、5月に内定が決まるし、東京でも8月くらいにはほとんど決まるんじゃないでしょうか。僕の頃はそうでした。
自分が入りたくても採用募集をかけないとこも多いし、あっても枠が2,3人とかだから、本当に時間が経てば経つほど、なくなって来て、行きたくもないサロンしか残らなくなる。
長崎だったら本当に少ないと思う。今は不景気だしね。
という訳でもっと色々書きたいですが、腰が痛くなって来たので、今回はここまで。
就活頑張って欲しいなー。応援してます!!
最後に宣伝をすると、SHINJUはものすごいいとこです!!
では。
誰でもいいんで、美容学生見てくれますように。笑
シュッ
自分の芯となる考え方、ブレない己を持っている人は、どんだけいるんだ。
フワフワしてあちらこちらに流されてそこで芽生えた感情を信じ込む人間。ただただ踊らされているみたい。
最近注目の苫米地英人博士の本から感じた事を引用しながら書き綴ろうと思い付いた。苫米地博士は脳機能学を専門とした超天才人間。興味がある人はYouTubeで検索してください。たまがります。サトブロ始まって以来の長編ブログ、スタートです。
人は全て過去の情報(記憶)で生きている。物理空間において、全てを支配しているのは情報である。あなたが生きた今日は、明日のあなたの行動源となる。その情報をいかに自分というフィルターに通すかで変わってくる。
ブレない自分とは。それは情報を鵜呑みにしない、常に第三者的目で斜めから見る事。物事の本質を見抜く目はそうやって養われる。斜めからみても何も変化を感じない場合、それは自分に必要な情報が足りていない証拠だ。
洗脳世界。
最初に人間が洗脳されるのは親。それから学校教育。そして関わって来た人達全て。何が正しい、悪いという価値観はそこで作られる。極論を言えば、他人を殺してもいいと教えられた子供は、その行為になんの違和感も感じない。ワンピースの一コマであったが、戦争を知らない子供と平和を知らない子供の価値観は違う。海軍が正義?海賊が悪?そんなものはいくらでも塗り替えられてきた、答えは一つ。勝った者が正義だ。と。例え正しいと思われている事が悪だったとしても、それを正義と思わせる方法をそれを作り出した彼らは知っている。
極論、しかし世の中とはそーゆうものだ。もしセカイがそうあるなら、そのセカイで賢く生きる術、情報を得るべきだ。それは過去の自分を作って来た環境を見直すいい機会でもある。
人よりたくさんの情報を持っている人は、それだけで上手く生きる術を知っている事に繋がる。美容のカラーで考えた場合、それが赤に染まると捉えているか、オレンジに染まると捉えているかで、その人のカラーに対する知識は大きく変わってくる。
もっと言えば赤と緑のカラー、2つをあげた時、より高い抽象度で見極めるチカラがあるかと言う事だ。ただのカラー剤との認識か、それぞれの持つ性質を知っているか、で術は変わってくる。抽象度を上げるということは第三者的な目でよりたくさんの情報を自分に通しているか、相手よりその情報量が多いか、という事。相手より抽象度が高ければそこから発信される情報を鵜呑みにする事はない。もし相手より抽象度が低ければ、既にあなたの価値観は誰かによって作られている事になる。よってテレビ、雑誌、インターネットから発信される情報をただ鵜呑みにする事は、危険だ、という事。
物事の本質を見極める精度を上げるには、自分というブレない軸を早く定める事だ。自分がこう生きて行きたいというイメージと、そのイメージに近づく為の情報を上手く取り入れて行けるか。そのイメージは臨場感を生む。臨場感は物理空間はもちろん、仮想空間にも発生する。臨場感がよりリアルになる程、そこに近付ける。想像妊娠がいい例だ。妊娠もしていない女性がそう思い込む事で、実際につわりが起きたりお腹が大きくなったりする。例えがズレてしまったが、臨場感を持って生活し、目的に合った情報を取り入れていけば自分というブレない軸をより固めていける。
それが出来ないから知らないうちに負のエネルギーが溜まり不満が募る。自分という軸がブレない人はその不満にも上手く対処出来、自他共にコントロールする事が出来る。軸なし人はその負のエネルギーを吐き出す術はなく、どんどん内にこもっていくのだ。そして自分にとって楽しい、幸せといった正のエネルギーのみを求めていく。これは日本人特有の性質なんじゃないかと思った。
ゆとり教育とは、本来こうした閉鎖的な人間性を変化させるべく始まった画期的な取り組みらしい。しかし、途中で軌道がズレてしまい今や批難の対象。日本のような学歴社会において学校教育とは受験偏差値を上げる為にあるようなもので、受験偏差値が良くても、そういった社会で生きて行くような術、またその力を付けるような教育はない。アメリカでは小学校一年生から授業でディベートがあるらしい。特定のテーマについて自分の考えを持ち、発言する。ディベートの極意は自分の意に関係なく論に徹する事。いかに論理的に相手を打ち負かすか。その中で数多の情報から本質を身抜く目が育っていく。
世の中には高い抽象度から、色んな仕掛けが仕組まれている。それに見事に引っかかり第三者からコントロールされているようでは、賢く生きているとは言えない。だから都市伝説なんかが生まれるし、閉鎖的な社会を背景にスピリチャル、占いなどオカルトにも似たニーズが蔓延しているのだ。
そこらへんの話は難し過ぎたのであんまり触れないようにしよう。
ではその軸をどこに置くのか。やはり組織に属している以上、少なくとも一つはそこに置くべきだ。でないとその組織は機能しない。そして組織が激変する様なパワーを皆で生み出して行かなければ。皆が本質を理解し、その本質の質をどんどん深めていける様な在り方を模索するべきだ。というより軸を持っていれば例え考えと違っていてもその在り方は理解出来る。出来ない人はより高い抽象度で仕掛ければいい。
その繰り返しで質が深まると信じたい。
美容師はもっと賢くなるべき。
攻めよう俺。
フワフワしてあちらこちらに流されてそこで芽生えた感情を信じ込む人間。ただただ踊らされているみたい。
最近注目の苫米地英人博士の本から感じた事を引用しながら書き綴ろうと思い付いた。苫米地博士は脳機能学を専門とした超天才人間。興味がある人はYouTubeで検索してください。たまがります。サトブロ始まって以来の長編ブログ、スタートです。
人は全て過去の情報(記憶)で生きている。物理空間において、全てを支配しているのは情報である。あなたが生きた今日は、明日のあなたの行動源となる。その情報をいかに自分というフィルターに通すかで変わってくる。
ブレない自分とは。それは情報を鵜呑みにしない、常に第三者的目で斜めから見る事。物事の本質を見抜く目はそうやって養われる。斜めからみても何も変化を感じない場合、それは自分に必要な情報が足りていない証拠だ。
洗脳世界。
最初に人間が洗脳されるのは親。それから学校教育。そして関わって来た人達全て。何が正しい、悪いという価値観はそこで作られる。極論を言えば、他人を殺してもいいと教えられた子供は、その行為になんの違和感も感じない。ワンピースの一コマであったが、戦争を知らない子供と平和を知らない子供の価値観は違う。海軍が正義?海賊が悪?そんなものはいくらでも塗り替えられてきた、答えは一つ。勝った者が正義だ。と。例え正しいと思われている事が悪だったとしても、それを正義と思わせる方法をそれを作り出した彼らは知っている。
極論、しかし世の中とはそーゆうものだ。もしセカイがそうあるなら、そのセカイで賢く生きる術、情報を得るべきだ。それは過去の自分を作って来た環境を見直すいい機会でもある。
人よりたくさんの情報を持っている人は、それだけで上手く生きる術を知っている事に繋がる。美容のカラーで考えた場合、それが赤に染まると捉えているか、オレンジに染まると捉えているかで、その人のカラーに対する知識は大きく変わってくる。
もっと言えば赤と緑のカラー、2つをあげた時、より高い抽象度で見極めるチカラがあるかと言う事だ。ただのカラー剤との認識か、それぞれの持つ性質を知っているか、で術は変わってくる。抽象度を上げるということは第三者的な目でよりたくさんの情報を自分に通しているか、相手よりその情報量が多いか、という事。相手より抽象度が高ければそこから発信される情報を鵜呑みにする事はない。もし相手より抽象度が低ければ、既にあなたの価値観は誰かによって作られている事になる。よってテレビ、雑誌、インターネットから発信される情報をただ鵜呑みにする事は、危険だ、という事。
物事の本質を見極める精度を上げるには、自分というブレない軸を早く定める事だ。自分がこう生きて行きたいというイメージと、そのイメージに近づく為の情報を上手く取り入れて行けるか。そのイメージは臨場感を生む。臨場感は物理空間はもちろん、仮想空間にも発生する。臨場感がよりリアルになる程、そこに近付ける。想像妊娠がいい例だ。妊娠もしていない女性がそう思い込む事で、実際につわりが起きたりお腹が大きくなったりする。例えがズレてしまったが、臨場感を持って生活し、目的に合った情報を取り入れていけば自分というブレない軸をより固めていける。
それが出来ないから知らないうちに負のエネルギーが溜まり不満が募る。自分という軸がブレない人はその不満にも上手く対処出来、自他共にコントロールする事が出来る。軸なし人はその負のエネルギーを吐き出す術はなく、どんどん内にこもっていくのだ。そして自分にとって楽しい、幸せといった正のエネルギーのみを求めていく。これは日本人特有の性質なんじゃないかと思った。
ゆとり教育とは、本来こうした閉鎖的な人間性を変化させるべく始まった画期的な取り組みらしい。しかし、途中で軌道がズレてしまい今や批難の対象。日本のような学歴社会において学校教育とは受験偏差値を上げる為にあるようなもので、受験偏差値が良くても、そういった社会で生きて行くような術、またその力を付けるような教育はない。アメリカでは小学校一年生から授業でディベートがあるらしい。特定のテーマについて自分の考えを持ち、発言する。ディベートの極意は自分の意に関係なく論に徹する事。いかに論理的に相手を打ち負かすか。その中で数多の情報から本質を身抜く目が育っていく。
世の中には高い抽象度から、色んな仕掛けが仕組まれている。それに見事に引っかかり第三者からコントロールされているようでは、賢く生きているとは言えない。だから都市伝説なんかが生まれるし、閉鎖的な社会を背景にスピリチャル、占いなどオカルトにも似たニーズが蔓延しているのだ。
そこらへんの話は難し過ぎたのであんまり触れないようにしよう。
ではその軸をどこに置くのか。やはり組織に属している以上、少なくとも一つはそこに置くべきだ。でないとその組織は機能しない。そして組織が激変する様なパワーを皆で生み出して行かなければ。皆が本質を理解し、その本質の質をどんどん深めていける様な在り方を模索するべきだ。というより軸を持っていれば例え考えと違っていてもその在り方は理解出来る。出来ない人はより高い抽象度で仕掛ければいい。
その繰り返しで質が深まると信じたい。
美容師はもっと賢くなるべき。
攻めよう俺。
あっ先に言っときます。
昨日ビューティーな話題をとか言っときながら申し訳ないですが、今日もどうでもいい話です。しかも語り風に書いてます。
テッテレー
今日バイクで帰っていて、信号待ちをしていたら、後ろから救急車がサイレンを鳴らしながら迫って来た。
誰もが体験した事があると思う。
周りを見ると、僕一人しか居ない。
僕は、右折車線に居たのでそこから車道の左端にバイクを寄せた。
『ご協力有難うございます』
と、マイクで御礼を言いながら、走り去って行く救急車。
右折時も歩行者の大学生らしき団体が道を譲っていた。
その後も、前を走る車が次々に、車を寄せる光景が目に入った。
当たり前と言えば当たり前の光景。
人が緊急で搬送されているのに不謹慎かも知れないが、僕は協力的かつ暗黙の了解的に行われるあの瞬間が好きだ。
実際、24年間生きて来て、救急車をシカトして走り続ける車は見た事がない。
あの瞬間を見ると、心が気持ち良くなる。
そんな一コマを当たり前に出来る僕たちのなのに
何で人を殺したり
刺したり
非情な事件が毎日のように起こるんだろう。
けれど、それはニュースでキャスターが伝えているのを聞いているだけか、インターネットで電子的に書かれた記事を読むくらいで、特に何も考えない。考えたとしても、自分に置き換えて考えて当たり前に抱くような『辛いな、遺族、被害者家族はたまらんやろうな』くらいで。一瞬の出来事だ。大半は繰り返しの感覚で、またか、と感じるだけだ。
毎日、事件や被害者は違うのに、感覚は同じ。これは危険なんだろうかとふと思った。
それは心のどこかで犯罪はなくならないと思っているから?
もし本気でなくなると考えていたとしても、その方法を24時間365日考える事は不可能だ。
誰にでも生活や仕事があるし、休みの日もある。頭の中を毎日起こる事件とその果てのない問題解決方法を考える事でいっぱいにする事は出来ない。
と思った数分後、家に着いた僕はすぐにワールドカップを見るためにテレビをつけ、今の今までそんな事を考えた事すら忘れていた。
そんな僕は偽善者なんだろうか。
考えたフリをして、こうしてブログに綴る事で、安心しようとしているのだろうか。
もしかしたら自分が被害者になるかも知れないのに。
答えは出ません。
犯罪はなくならないかも知れないけれど、あの誰に言われるもなく、救急車の中で一刻を争っている人達の為に道を譲る気持ちはどんな人間も持っていると信じたい。
あの瞬間に、そんな事をごちゃごちゃ考えている人はいないはず。
考えるより先に、体が動いているはずだ。
そんな、反射的に起きる人間の素敵な行動がどんどん増えていけばいいじゃないか。
考えるよりも先に、何か人の為にできる事が増えていけばいいじゃないか。
美容のお仕事を通じて、そんな反射的な行動を生み出せれば更に最高じゃないか。
今日もどこかで非情な事件が起きている。
昨日ビューティーな話題をとか言っときながら申し訳ないですが、今日もどうでもいい話です。しかも語り風に書いてます。
テッテレー
今日バイクで帰っていて、信号待ちをしていたら、後ろから救急車がサイレンを鳴らしながら迫って来た。
誰もが体験した事があると思う。
周りを見ると、僕一人しか居ない。
僕は、右折車線に居たのでそこから車道の左端にバイクを寄せた。
『ご協力有難うございます』
と、マイクで御礼を言いながら、走り去って行く救急車。
右折時も歩行者の大学生らしき団体が道を譲っていた。
その後も、前を走る車が次々に、車を寄せる光景が目に入った。
当たり前と言えば当たり前の光景。
人が緊急で搬送されているのに不謹慎かも知れないが、僕は協力的かつ暗黙の了解的に行われるあの瞬間が好きだ。
実際、24年間生きて来て、救急車をシカトして走り続ける車は見た事がない。
あの瞬間を見ると、心が気持ち良くなる。
そんな一コマを当たり前に出来る僕たちのなのに
何で人を殺したり
刺したり
非情な事件が毎日のように起こるんだろう。
けれど、それはニュースでキャスターが伝えているのを聞いているだけか、インターネットで電子的に書かれた記事を読むくらいで、特に何も考えない。考えたとしても、自分に置き換えて考えて当たり前に抱くような『辛いな、遺族、被害者家族はたまらんやろうな』くらいで。一瞬の出来事だ。大半は繰り返しの感覚で、またか、と感じるだけだ。
毎日、事件や被害者は違うのに、感覚は同じ。これは危険なんだろうかとふと思った。
それは心のどこかで犯罪はなくならないと思っているから?
もし本気でなくなると考えていたとしても、その方法を24時間365日考える事は不可能だ。
誰にでも生活や仕事があるし、休みの日もある。頭の中を毎日起こる事件とその果てのない問題解決方法を考える事でいっぱいにする事は出来ない。
と思った数分後、家に着いた僕はすぐにワールドカップを見るためにテレビをつけ、今の今までそんな事を考えた事すら忘れていた。
そんな僕は偽善者なんだろうか。
考えたフリをして、こうしてブログに綴る事で、安心しようとしているのだろうか。
もしかしたら自分が被害者になるかも知れないのに。
答えは出ません。
犯罪はなくならないかも知れないけれど、あの誰に言われるもなく、救急車の中で一刻を争っている人達の為に道を譲る気持ちはどんな人間も持っていると信じたい。
あの瞬間に、そんな事をごちゃごちゃ考えている人はいないはず。
考えるより先に、体が動いているはずだ。
そんな、反射的に起きる人間の素敵な行動がどんどん増えていけばいいじゃないか。
考えるよりも先に、何か人の為にできる事が増えていけばいいじゃないか。
美容のお仕事を通じて、そんな反射的な行動を生み出せれば更に最高じゃないか。
今日もどこかで非情な事件が起きている。