ふとしたことから、祖母の若かりし頃の資料ファイルが見つかった。
「処女会報」大正14年作成とある。
祖母は、明治39年生まれで私を育ててくれた人である。
その足跡をたどってみたいと思うので、どうか、お付き合いいただければ嬉しいです。
ではさっそく、私の祖母の「若いころ」の世界へご招待しよう。
「用事・交際の心得」とある
西明寺処女会報(大正14年作成)
ひとつ「仕事は、一つずつ片付けること」
ひとつ「後でも良いと言われたことでも、なるべくその時済ましておくこと」
ひとつ「頼まれたことを、まだ、そのままにしていないか、時々考える事」
ひとつ「自分のできることは、人を使わぬこと」
ひとつ「病人は、早く見舞うこと」
ひとつ「出さねばならぬ手紙は、早く出すこと」
ひとつ「腹の立った時は、なるべく口数を言わぬこと」
ひとつ「他人の言葉を、一口に消さぬこと」
ひとつ「人の帰りたる後で、すぐ戸を閉じぬこと」
ひとつ「他家に行きたるときは、大概のことは庭先で済ますこと」
以上が、「用事・交際の心得」として記されている。
処女会の「修養」その1
「家政の整うと否とは、主婦の心がけの如何による」
「古人、家貧しければ、良妻を思うと言いしも道理なり」
「児女の教育もまた、女子の天職にして、母は、自然の教育者なりといえり」
「およそ婦人の道は、良妻となり賢母となりて、よくその務めを全うするより大なるはなし」
修養とは、一般的な常識であり、自己の人格を蹂躙されたり、権利主張を認めてもらえない場合、該当しないものであること。どこまでも、常識的な事柄として参考にし活用せられたいとある。
※「修養」とい言葉は、長くタブー視され、時には汚い「いじめ言葉」の代表として扱われ、今では忘れ去られてしまった言葉だと思う。
原因は、敗戦の爪痕がはっきり残った、軍国主義に根ざした嫌な言葉であったからだと思います。
私にとっては、魅力的で、厳格な田舎の常識そのものように思われてならない。
決して、軍国主義に根ざしたものではないように思う。自由主義、民主主義という時代に飲み込まれ、置いてきぼりを食っただけだと思う。
ちょっと、待った。・・・気に食わない。
あなたに「ダサイ、古臭い、右翼的だと」いくら言われても、私は決して怯む事はないでしょう。
「自分のル-ツ」「自分の育ち」は、あなたのものではなく、私自身のものだからです。
なんか、喧嘩腰になってきましたが、
結局最後は、自分を擁護するのも、非難するのも、自分だからです。自分を追い込むのも、開放してあげるのも自分次第でしょう。
「あまりにむごい仕打ちを受けた可哀想な言葉」が「修養」という言葉であったのだということだけは、ご理解してください。
私にとっては、大切な、大切な、大事な言葉なのです。
私を育ててくれた人、可愛がってくれた人、私の祖母の贈り物なのです。
ただ、つながっていたいだけなのです。
今日は、ちょっと、飛びすぎたかなあ。
いつも「すびばせんね」