村の「おきて」「村八分」 | ミ―ナに恋をして

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誰も読まない、誰も覗いてくれない、寂しくてしょうがない、甘えたい、すがりたい、泣きたくてしょうがない、でも、誰も助けてはくれない。そんなブログを書いてみよう。

今日は、「村はちぶ」という言葉について


「村はずし」「村はじき」「村はずれ」という田舎もある。



「村八分」となる原因は、


・わからず屋、ならず者、チョッカイを出す人。


(さく)を荒らしたり、禁猟区に入ったもの、盗みしたもの


・共有林の盗伐・許可無く伐採したもの、(くら)(やぶり)したもの


・村の娘が他の村の者と通じた時、姦通をした時


・火事の火元となったもの、村を相手に絶えず訴訟をおこすもの、村に反抗したもの


・家産多きを(かさ)に着て村の決め事に従わない者、理由なく集会に出席せず仮病が発覚した時




村八分の手続き」は、


村の「全若衆(わかしゅう)の協議」により決定し、通告するとある。


※「若衆」とは、年令を問わない村の未婚の男性のこと。


()び入れ」仲人(なこうど)を立て詫びを入れて許してもらうこと。

「あやまり酒」「ことわり酒」を持参して、お(とが)めを逃れたとある。。




「村八分」の決まり・おきては


あらゆる村づきあいを絶つということ。


誰とも交際できず、出入りすることすら許されないこと。


その者と言葉を交わしても「村八分」にされる。


結局は、その部落(集落)に住み難くなるほど、大打撃であり苦痛が大きかったそうです。


しかし、一分は葬式であり、後一分は火事(失火)の時は、部落で世話するとした。


※葬式と火事の二分だけ残しておくから、八分であるとの説もある。


「米三俵取り上げる」「土地を取り上げる」「戸口に人糞(じんぷん)や尿をぶっつけた」ともある。




いずれも共同生活の秩序の無視が原因であることは明らかであるが、共同作業を懈怠(けたい)サボルとか共同の休日を守らないとかが原因となっていたという。


厳格な中にも、親密な村づきあいをしていたことがうかがえる。



映画、楢山節考(ならやまぶしこう)姥捨(うばす)て山)の世界で、「生き埋め」にすることさえ辞さなっかったことが事実として再認識できた。



※ 村の「おきて」「村八分」残りの二分が「葬式」と「火事」であったことだけは覚えてください。


村の娘が、通ずること、姦通することが、若衆の怒りに触れたのは、現在でも同じこと。


大事な村の娘が、傷つけられたら、男一匹(ふる)い立つのは、当然のことなのです。



男たるものの立派な義務義理であると思う。



どうか、女性蔑視でないことを、ご察しください。


昔の「良い所」「悪い所」の判定は、あなたにお任せします。


どうか、振り返ること、昔のことを知ることに、少しは、欲張りになってください。


おねがいします。