・・葬送のサクラケーキ🌸が、北関東の山間の街で振舞われていた頃には、ジュンと三宅の2人は、

再び北の海辺の町に赴いていた。

 

 案の定、床は濡れてグニュぐにゅで、長くあける、と言っておかずじまいでも、どうということもなかった、結果的に。端折ると、要するに地震保険は規定に基づき50%の補填に留まり、だが、三宅と順子が、コレも端折れば今や一緒に行動していたので、50+50=100%という計算も、トータル的には成り立つわけ。各々、二人の建物🏠は取壊しになると聴いたので、片付け不要と相成り、長居は無用❗️とばかり、二人👫は、最初と全く同じルートで、尚且つ最初とは全く異なる目的で再び関西に降り立った。

 

 目指したのは、比叡山だった。死ぬわけではなくなっていた。しかも、目的地は、山頂や修験道なぞでもなく、中腹の比叡平へ、である。そこは、涼しい住宅地だった。標高の関係で、京市中よか、夏は2℃低い。コレならなんとか凌げそうだ。で、

                   

 

厳しい冬は、🇵🇼パラオにでも行けばいいさ、時差も無いし。。

 

 とゆーわけで、補填が足して丁度一人分の100になった資金で相当ネンキの入った中古の一軒家を、その界隈に手に入れた。静かな環境で三宅の作業も捗るだろうし、

 

        

 

             気分変えたきゃ庭で焚き火か、

 

 

  行きたきゃ街は近いし、

 

 

                        

 

 

 順子も、何度も上空素通りした故郷(所沢)には戻りたくない‼️とハッキリ言っていたし、コレで良いのだ、生死の問題は別にして⁉️もだよ。

 

 そう言えば、子供の頃、順子の父親は昔の故郷(所沢)の話をしては、繁華街に順子を連れて行った。ソレは、どこの街にでもある、

 

  一番街、とか〇〇銀座、或いは、

  はたまた銀天街とか言われる

 

いわゆる駅前から続くほぼ歩行者専用の商店街、という繁華街へだ。ーー駅から、右手へ出ると、ソレは始まった。よく行ったイタリア料理店🏬とか、父親が学生の時は🧑‍🎓、ロミオという服屋とジュリエットとゆー喫茶店☕️もあったそうだ。なんともロマンチック💕な組合せではないかい⁉️5分ほど歩くと、その繁華街は、交通量の多い大通りに出てしまうが、出口の直前に、早くて旨い餃子屋があって、いっつも混んで大盛況だったし。大通りに出ても、また中華屋があって、そこでも山盛りの🥟餃子を食べた記憶が舌に👅あるのは、記憶違いや気のせいじゃないはず。・・けど、こうなったからには、もはやそれらも‘大過去’の話とゆーことになろう。‘こうなったから’というのも、まあ、今はどっか出かけたきゃ、さっきも言った通り、京(みやこ)

 

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 市中へ下りていくか、そこをも少し🤏通過しつつ伏見界隈まで行ってまうねー。。

 

 うん、話が一気に進んだのには、不確実な要素である‘地震’という媒体が否応なく絡んできたから、という他はないダロウ。・・少し話を戻そう、あの3月11日🌕の、前方後円墳の緑茂る上空から✈️機内アナウンス📢で追い出されるように伊丹😖空港から芦屋の🎂ケーキ屋まで、ヒョイィ~とばかり降り立った時点に。。

 

                               (当然少しは続く、か⁉️)