1993年10月28日、カタールのドーハで行われたアジア地区最終予選のイラク戦。

この試合に勝てばW杯初出場、引き分け以下で敗退という大一番。

2-1と勝ち越していた後半ロスタイムに同点にされ、得失点差でW杯出場を逃した。

ちなみに「ドーハの悲劇」の由来は、当時の週刊サッカーマガジンがこの試合の特集をしたときの見出し。

佐藤一岳
今では定着しつつある「○○ジャパン」の愛称。

最初はハンス・オフト監督時代のオフトジャパンって知ってましたか?

以降、

ファルカンジャパン

加茂ジャパン

岡田ジャパン

トルシエジャパン

ジーコジャパン

オシムジャパン

岡田ジャパン

ザックジャパン

といった感じ。

ちなみに公式の愛称は2009年に「SAMURAI BLUE」と制定されましたが、
・グループリーグで敗退した2006年W杯の応援キャッチフレーズの使いまわしである
・WBCでの野球日本代表の愛称「SAMURAI JAPAN(サムライ・ジャパン)」と酷似している
などから批判の声もあるようです。

佐藤一岳
2010年7月の時点の日本代表23名の共通点。

それは一人っ子が一人もいない!

そもそも世代的に一人っ子の割合が少ないのかもしれませんが、

チーム競技よりも個人競技のほうが向いてるなどの理由もあるのかな。

ちなみに姉がいる長男と次男が圧倒的に多いみたいです。

20代後半~30代半は、一姫二太郎時代の真っ只中なのかな。

佐藤一岳
日本代表の歴代の監督です。

佐々木等(1921年)
西田満寿次郎(1923年)
山田午郎(1925年)
鈴木重義(1930年)
竹腰重丸(1934年)
鈴木重義(1936年)
竹腰重丸(1938年 - 1940年)
工藤孝一(1942年)
二宮洋一(1951年)
竹腰重丸(1951年 - 1956年)
高橋英辰(1957年)
川本泰三(1958年)
竹腰重丸(1958年 - 1959年)
高橋英辰(1960年 - 1962年)
長沼健(1962年 - 1969年)
岡野俊一郎(1970年 - 1971年)
長沼健(1972年 - 1976年)
二宮寛(1976年 - 1978年)
下村幸男(1979年 - 1980年)
渡辺正(1980年)
川淵三郎(1980年 - 1981年)
森孝慈(1981年 - 1985年)
石井義信(1986年 - 1987年)
横山謙三(1988年 - 1991年)
ハンス・オフト(1992年 - 1993年)
パウロ・ロベルト・ファルカン(1994年)
加茂周(1994年 - 1997年)
岡田武史(1997年 - 1998年)
フィリップ・トルシエ(1998年 - 2002年)
ジーコ(2002年 - 2006年)
イビチャ・オシム(2006年 - 2007年)
岡田武史(2007年 - 2010年)
アルベルト・ザッケローニ(2010年 - )

佐藤一岳