今日は青色のとっくりセーターで外出。

ジャケットの襟元に戴いたエルメスの大判スカーフキラキラ音符

色はイエローに。

 

ウクライナの色、

この一週間こんな感じに。なっています。

イタリアフランスは色の染めが上質で、ことにエルメスは色を楽しめる。

 

縁もゆかりもないけど遠い戦火が毎日気になる。

胸騒ぎ?落ち着かない。

何だろう?

ヨーロッパに過去世はないはず。

 

国と国との戦いでは私たちは悲しい犠牲者になります。

家庭の中でさえ骨肉の争いがあります。

職場や学校、憎い敵、嫌な奴がいます。

 

大抵の場合、沈黙うちに憎しみ、悪意 悪口の類の精神戦に火花が散る。

そのような沈黙の争いは惨めです。

 

『主よ。私と争う者と争い、

私と戦う者と戦ってください』

            (詩編35章 1節)

 

サラリーマン時代、就寝前に祈っていたみ言葉。

人生の戦いに。

戦いからの勝利をストレートに神に祈る。

 

祈ると、本当の敵の正体がハッキリしてくる。

祈ると、本当の敵は、血肉を備えた人間ではないことに、時間がかかるが感じる。

 

罪の原理、自分の心の中にも働いている原理に正体にたどり着く。

 

詩編は、人を2種類に分けます。

正しい人・・・

悪しき者・・・とは自分を正しいとし、自分を頼みとし見えない神を神(宗教のことではない)としない人のこと。

 

キリスト信徒向けでもなく、深い霊的注釈書としてでもなく、

詩編の珠玉の言葉は救いだ。

 

人は、弱ると、傷つくと、言葉にすがる。

すがって良い。

人の魂が「言葉」という慈しみの懐に駆け込むなら、

そこに拠り頼み、また言葉の深遠従うことも学ぶ。

しだれ梅

   今日のしだれ梅は何を語る?