自己紹介します

自己紹介します
初めまして、かよんと申します
今回は私自身を知って頂くために
自己紹介します
《誕生》
昭和30年代、4月13日、佐々木家の長女として生まれました
父母はそれぞれの事情により、結婚が遅く、
友人の両親よりも10歳くらい年齢が高かったです
《幼少期》
食が細く、育たないのではないかと心配されるほど小さかったようです
今の時代、栄養不足で亡くなる子は日本には少ないと思いますが、当時はまだ、そんな時代でした
幼稚園のお弁当は、お菓子でも何でもいいので、食べれるものを持たせてくださいと言われていました
何を食べていたか覚えていませんが、バレリーナの書いてある赤いアルミのお弁当箱でした
冬にはストーブで温めてもらい食べていたので、ご飯類だったと思います
5歳で入園した時に、妹が生まれ、母親を取られた想いから、妹に異常に嫉妬していました
私より食べっぷりのいい妹は、どんどん成長し、
服が小さくなって、買い替えなければならず、
それすらも嫉妬の対象に
この頃から、物に対する執着は強かったです
食が細かったわりに、好物といったら、昆布、わかめ、ひじきと健康的なもので、基本的には元気でした
ただ、耳鼻咽喉科のお世話になることは多く、急性中耳炎で、何度も、深夜に病院ではなく、医師の自宅を訪ねていました
昔は、自宅兼病院でしたから、夜中でも診てもらうことができました🙏
大きな病気もなく、成長しましたが、
結構なお転婆で、男の子とやりあうこともありました
《人生の転機となった学生時代》
近くの公立中学が、当時とても荒れていたので、
父が心配して、6年生になって、急に受験をすることになりました
それまで、きちんと勉強したことはなく、初めて行った春期講習は、算数0点でした
また、春になると一年分の病気をまとめて消化するかのように、体調を崩し、模試も散々でした
志望校を見直しながら、なんとか入試を終え、
中高一貫の女子校に入学できました
入学はできたものの、勉強に対して自信はなく、
初めての中間テストは、勉強法が分からず、
全ての教科を丸暗記しました
担任は、ご高齢にも関わらず中学1年生の担任になりたいと希望され、久しぶりに受け持ったクラスでした
初の中間テスト、クラスを盛り上げようと、
賞状を用意して、頑張った生徒を表彰してくださいました
表彰式の最後、1番成績が良かった人が発表になった時、「意外な人が一番でした」と自分の名前が呼ばれました
それは、驚きで嬉しいことでしたが、「意外な人」と言われたことに、わずかな自尊心は傷つきました
それからは、ガリ勉のように勉強するようになりました
ただ、一度丸暗記で成功しているので、方法をかえることができず、どこまでもいっても実力はついていきませんでした
成績は落とせないという思いが強くなり、
また、一つこだわりが増えました
就職は、まだまだ、どしゃ降りと言われた時代でしたが、ご縁があったのか、2部上場企業に内定
人事部から呼び出しがあり、貿易部を希望しているが、人事部への配属となると言われ、悩んみましたが、父から初めて懇願され、内定を受けました
その時に、父の就職時の後悔を聞きました
母、2人の姉を抱えて、内定した東京海上火災を辞退し、自分で事業を始めたそうです
入社後、予定通り人事部に
同じ学部学科の友人が貿易部に
入社1日目にして退社を考えましたが、
次があるわけでもなく、務めることにしました
《人生の転機「地獄パート」》
社会人になったころ、父の強い希望で出した名古屋支店がうまくいかず、会社員にも関わらず、個人でその負債を負うことになっていることがわかりました
私の初めてのボーナスは、1年も経たずに取り壊されることになった家の支払いが滞っていたお風呂のリフォーム代に当てられました
母は、60歳過ぎて初めてパートにでて、だいぶ苦労しました
家計はどんどん逼迫し、母と2人、彼氏宅に家出したこともありました
彼の仕事が不動産の仲介でしたので、
持家売却、わずかでも手元に残り、中古マンションが購入できるよう、奔走してくれたおかげで、一旦は落ち着き先を見つけることができました
私は恥も外聞も曝け出してしまった後も
変わらずにいてくれた彼と結婚しました
その後、母の病気が見つかり、術後を安心して過ごすため、残っていた借金を精算して、関東を離れて、父の故郷の愛知に引越しました
妹が、夫婦2人で住める公団を見つけてくれました
母にとっては馴染みのない土地
父にとっては学生時代を過ごした思い出の地
ただ、高齢の父の同級生はほとんど他界してましたから、たまに同窓会のお誘いで出かけていました
新築、3DK、家賃も安く、夫婦2人には大き過ぎるくらいでしたが、母がそこで過ごした時間はあまりにも短く、辛い時間だったと思います
ただ、18歳から家を出ていた妹には、親孝行の時間になりました
《人生の転機 Part.2》
8年前に、精神的にも経済的にも
頼りきっていた夫を亡くしました
夫は、それなりに収入は作ってくる人でしたが、特に夢や趣味など、人生を楽しもうとする方ではなく、収入に対しても貪欲な方でもありませんでした
食べることに困ったり、子供達の学費に困ったりすることもなく、一生懸命に家族のために仕事をしてくれていましたが、クワドラントのSのような立場でした
絶えず、夫が元気であれば、、、
この生活が続くのだけど
という不安の中で生活していました
父のことがあったので、いつもどこかで
お金の不安がついて回っていました
自分のお小遣い程度に
パートで働いていました
いざ、大黒柱を失って
全てが自分にのしかかってきた時
パート時代の医療事務で正規採用となりました
仕事は嫌いではなかったし、休みも自分の仕事次第でどうにかなったのと、そこそこの金銭的余裕はあったので、海外旅行や習い事もやることができていました
ただ、絶えず、キャリアのない自分は負組だという、負い目のようなものと、
今の収入だけで、この生活を続けていけるほどの余裕ではないのも分かっていました
夫の健康だけを気遣っていたのに、
その結果がこれかという気持ちや
正直、どうして自分だけがこんな目にあうのか、どうしてひとり取り残されてしまったのかと考えるようになりました
夫のいない今、頼れるものが欲しかったんです
これからの自分の課題は、
「自立」ではないかと考えていたところに
「自立女子」という文字が目に留まり、セミナーに参加、それからは、セミナー難民と化していくには時間はかかりませんでした
セミナーを受けながら、マネタイズには繋がらず、自分に足りないものが何であるかも分からず、ただ、セミナーの梯子をしていたようなものでした
そんな中で、2つの案件をご紹介いただき
保険の借入までして資金を入れましたが、1つは帰らぬ資金となりました
他の案件で、上昇学と出会い、今までとは何か違うものを感じ、JSA(上昇アカデミー)にも参加しました
そこでは、毎日、11:55と18:18にオンライン
になることが参加条件でした
365日、同じ時間にオンライになる
思った以上に大変なことでした
オンラインになれず、何度かグループを外されることがありました
その度に、もういいかって思うんですが
ここで得られる情報は
案件だけではなく
マインド
マーケティング
時代の流れ
それこそ、お金を払ってでも聞きたいものばかり
どれほどの価値があるのかを知ってしまったので、諦めるわけには行きませんでした
そして、同じ失敗をしないために、環境を整えました
時には、先着順のイベントがあり、情報をすぐに取らなかった後悔をしたり、チェックしていたおかげで、残り1枠に参加できたり
毎日毎日のオンライン、失敗や成功を繰り返しながら、情報をとることの意義を知り、そのための工夫をし、環境も心も整えていきました
全てが計算されたシステム
全てに意味がありました
トップリーダーのコンサルを受けて、ここにかけるしかない、ずっと抱いている不安をとりのぞくには、ここしかないと思いました
暗号通貨がメジャーになるこのタイミングに立ち会えたことは、自分の人生にとってどれだけのチャンスであるかと気づいた時に、GTRの可能性と今という時の大切さに震えました
負組意識は自分自身で、成功し、自信を持つことでしか拭えないと思っています
自立したい!と心の底から思っています
還暦を迎えた今年、人生の中で最初で最後の本気と思い、やり遂げると決意しました
時間がないという正悟さんの言葉は、胸に沁みています
経済的な自由と時間を得て、夢である海外横断をし、世界中の友達に会いに行きます
ピンチはチャンス

夢なき青春
おはようございます
久しぶりの投稿です
先週ですが、2日間のセミナーに参加してきました
コロナ禍で、なかなか人の集まるところに参加しにくくなっていますが
新橋の飲み屋街には、多くの人が変わりなく集まっていますし
しっかり対策をとって、情報収集しなければ
数年後、いや、2024年に間に合わなくなってしまいます
そこで、現役の高校生に会いました
とても、素直で真面目そうな印象を受けましたが
ここに来ているというからには
厚き想いを煮えたぎらせているのかと思いきや
将来に不安を感じて来られたそうです
そして、すぐにご友人にも伝えてられ、みな関心を持ったそうです
やはり、みなさん頭が柔らかい
情報は
信じ過ぎず
疑い過ぎず
確認するだけ
それだけです
怪しい
騙されそう
と思う前に、
まず、聞いてみようよ
世界のわずか2%の人しか知らない世界のお話です
怪しい!!!!
興味のある方は、コメントお願いします


