敬天愛人~介護維新~ -400ページ目

人生を楽しもう

ある先生お言葉です。


人は白黒をつけたがる生き物で、つい、そこにこだわる。

しかし、二者択一ではなくて、味わい深い世界をわからせて

もらえるような選択をしなさいと。


このことは、人生全般にいえるコトバで、健康が善で病気が

悪と人は決めつけるが、病気があるから健やかであることの

ありがたさがわかるのです。


太陽は、太陽だけあっても目に見えないのであり、影がある

から、光がわかるのです。


「9」という数字は、不思議な数字で、どう計算しても9をかけ

たりたしたりすると「9」になるのです。


たとえば9×1は9ですが、9×2=18も、1+8=9

となります。

9×3=27、2+7=9

9×4=36、3+6=9

どんな数字でも結果は同じです。


物事は一から始まって十で終わるとするならば、必ず九(苦)を

超えていかねばなりません。

十が充実であるなら、九は苦労であるということだそうです。


九を免れぬ人生ならば、解釈を変えることはどうでしょう。


九(苦)を楽しみ、充たされる感動を味あおう!


そのなかで、「ありがとう」の反対は何かという問い

がありました。


皆さん何だと思いますか?


私は「バカヤロウ」かなと思いましたが、正解は・・・


なんと、「当たり前」だそうです。


我々は貴重な命を頂いているという喜びの世界に住ん

いながらそれが「当たり前」だとツイツイ思ってしまい

がちです。


毎日毎日を生きていること、そして食べ物を口にでき

ていること。


それらを、当たり前ではなく、ありがたいと受けとめる

ことが肝要なのだから。


の空に

そうを求めて

むしゃらな日々

きめく心に

れしい夜明けが


皆さんありがとうございました。







無財の七施

「施し」


この言葉の本当の意味は「捨てる」だそうです。


例えば誰かに何かの施しをしたのなら、

それはもう捨てたわけですから、見返りを

期待するものではないのです。


そして互いに施しをしあうことが、人と人との

心のつながりになるのです。


仏教のなかに「無財の七施」という言葉が

あります。


~無財の七施~

一、捨身施(体できることを喜んでやる)

一、心慮施(他人のために心を配る)

一、和顔施(いつもなごやかな顔で、人に接する)

一、慈眼施(いつくしみのまなこですべてを見る)

一、愛語施(人の心を知って、なごやかな喜びを

        感ずるような言葉で話す)

一、房舎施(風や雨をしのぐところを譲ってあげる)

一、床座施(電車などで人に席を譲ってあげる心)


隣の人に思いやりを持ち、やってあげられることは

進んでやってあげ、いつもなごやかな顔で、

いつくしみの瞳ですべてを見つめ、優しい言葉をかけ、

雨の当らぬ場所を譲り、電車等に乗れば席を譲る。


この施しを当たり前のようにすること、見返りを求めず

その行為を覚えていずに忘れてしまうような人がたくさん

増えれば世の中はもっと素晴らしくなるのです。


動けば変わる。


ありがとうございました。


両手

フジタ・エージェントの山崎浩史さんから

頂いた言葉を皆さんにご紹介します。

http://blog.livedoor.jp/engawagekijyou/


一本のタクトは

指揮者に振られて

白と黒の譜面から

金色の旋律を放たせる


道端に咲く一輪の花は

誰に教えられることもなく

自然の一員として

最前列に鎮座する


久さんの両手は誰かに

あたたかいスープを渡したかい


誰かの濁る心を察し

手を引いてあげたかい


誰かの肩にやさしくかざし

勇気を与えたかい


誰かの迷う背中を

そっと押したかい


久さんの両手

久さんのことを待っているよ


久さんのすばらしい

未来をつかむためにも


皆さんにおすそわけしま~す!


山崎さんありがとうございます。