資本主義社会では「質より量」が原則となる。
質がよければ、買い替えることがなくなる。
買い替えることがなければ、経済は停滞する。
質の悪いものを、短いサイクルで回していくことがお金になる。
同じものを10年使うことと、2年おきに5回買い替えることのどちらが有益だろうか。
それは状況や対象の物によって意見は変わるだろう。
しかしひとは10年使っているものは「永遠に使う」ことを前提としている。
対して2年おきに買い替えるものには「期間限定の付き合い」を前提にている。
資本主義社会は期間限定の付き合いを人に求めているということになる。
そして永遠性は失われてしまった。
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期間限定の付き合いには「考察」がない。
何故なら、期間限定のものに対して人は真に関心を注ぐことはできないからである。
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期間限定の付き合いと似ているものは「匿名性」である。
匿名性は人間の本性を露にするが、実際は人間の汚い部分をことさら強調することとなる。
匿名性には反論の余地がない。
匿名に対する反論は、すべて空を切ることとなる。
匿名というモヤに向かって石を投げたところで虚しく地面に落ちるしかない。
匿名の先には「誰もいない」のだ。
誰もいないところに永遠性もなにもない。
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匿名も期間限定の付き合いと同じく「買い替えること前提」の付き合いでしかない。
資本主義社会は物だけではなく、ひと自身を変えることにも成功した。
システムが人間を支配することとなった。
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僕たちは、すこし立ち止まって目の前の利益を棚にあげて考えてみる必要がある。
そしてこう問おう。
「そこに、永遠性はあるのか?」
たとえば、食べ物。
体に悪い安くて美味しいものには、その場の快楽はあるが永遠性を欠いている。
ひとは自らの体から逃れることはできない。
自らの体と「期間限定の付き合い」をしようとしているひとが、沢山いる気がしてならない。