サスライメイカーのボーカル、ギターをやってます。磯部俊行です。皆からは、としだの、としくんだのとしさんだの言われており、うちのおかんだけ、「とっくん」と呼びます。
「恥ずかしいから、止めとくれ!」と言い続けてましたが、一向に止めないので、いつしか諦めました。
ここ最近、ブログを書く事をしなかった為、僕の事を忘れた皆さんもいるかもなので、最初に自己紹介したしだいです。
何故書かなかったのか?
何故書けなかったのか?
それは、僕が弱っちぃーやつだからです。
すぐに、心が骨折するからです。(誰かが、言ってたな、、ハートが骨折したって言葉、、)
僕の大好きだった、じいちゃんが、天国へ行きました。
92歳でした。
よく生きたよ。
と皆は言ってました。
僕は、そんな納得の仕方は出来ませんでした。
現実を受け入れたくありませんでした。
親が、朝早くから夜遅くまで仕事だったので、小さい頃は、じいちゃんが僕に色々な事を教えてくれました。戦争の話も、料理も、麻雀も・・・・パチンコも・・・・・(お前が横にいると勝てる!と言った名目で、、、)
たくさんの「生きる為に必要な事、不必要なこと」を学びました。
タバコは良くない!
と僕に、言い続け、じいちゃんはタバコを吸い続けていました。
ずーっと、ショートHOPEという、どぎついタバコを吸ってました。、。
「小さい頃に、タバコ嫌いになったらええ!」と、小学生の僕に、ショートHOPEを吸わせようとしました。
おかんがキレてました。
じいちゃんは、必死に言い訳をおかんにしてたのを今でも鮮明に覚えてます。
「一回な、シマウマになっちょったほうがええんちゃ!シマウマになったほうが!」
と、、あの頃言い続けてた「シマウマ」は、思い出してわかりましたが、、
どうやら、トラウマ・・・・・・・・のようでした。
一年半前に行った、じいちゃんとの最後の家族旅行の写真です。
もっとたくさん、写真撮ってたくさん話すればよかった。、。
タバコを吸うのが、家族でじいちゃんと僕だけだから、旅館のベランダに追いやられ、2人でプカプカ吸いながら、何を話すでもなく、空を眺めてたら、、いきなり、「とし!頑張ってふみちゃん(おかん)を安心させちゃらんといけんぞ!」と言って、くしゃくしゃの一万円を僕の手にねじ込みました。
ただでさえ、少ない年金しかもらってないじいちゃんの一万円。
「そんなの貰えんっちゃ!じいちゃん、そんなん貰わんでも、おかんは安心させるけー!」
と、突っぱねました。「子供じゃないんやから、やめてーや!」
とも言ったかな。、。
あの時の、じいちゃんの「そーか、すまんすまん」と笑ったけど、哀しい顔してたのを思い出して、、
枯れてたはずなのに、また涙がでてきました。、。
実家への帰りの新幹線の中で、使いきったと思ってたのにね。、。
あの、精一杯のやさしさを、僕はよくわかんない自分のプライドで、踏みにじってしまった事、。、。
ごめんね、じいちゃん。
灰になったじいちゃんの横に、CDラジカセをおいて、「月とポスト」を流しました。
なんか、自分の歌流して、カッコ悪いけど、、じいちゃんに伝えたかった。、。言葉じゃなくて、歌で、、
ありがとうって。
僕は、こう思ってました。
サスライメイカーの音楽とは、聴いてる人の背中を押す音楽だと。、。
どんなにしんどい現実も、目をそらさないで、前に進む手助けになる歌だと。、。
きれいごとと言われても、。、。そうであるのが、サスライメイカーの歌だと。、。
でもね、、
じいちゃんの死を通じてわかったこと。。
受け入れたくない現実に直面した時、背中を押だけじゃなくて、その人の側で寄り添って、少しずつでも一緒に進む音楽、歌であることも必要なことだと。。
サスライの歌で、そういう感情も表現していきたいと。。
いや、そんな歌を作らなきゃならんと。。
帰りの新幹線の中で、真っ白な感情の中で、なんだかあたたかいものを見つけました。。
今日は、そんな気持ちで路上LIVEに挑む予定だったのに。。。
雨・・・・・
楽しみにまっててくれた皆さん、ごめんなさい。
まあ、ここ数日、寝不足だったので、今日はしっかり寝て、明日千葉テレビ頑張ります!