こんばんは、暴飲暴食でおなじみの、ヴォーカルとしです。
小学校2年生美術の時間に、沢山のちっちゃいカニで巨大カニを書き,自分では、かなりの力作であり、
「僕はもしかしたら、将来絵描きになるんじゃないだろうか」
と思っていたところ、僕の絵の出来上がりに、クラスの皆が悲鳴をあげ、泣き出す女子さえいたのです。
そうです。カニの大量発生的な、、そんな感じで気持ち悪かったそうで、後で先生から呼び出されて、
「磯部、女子が怖いっていいよるから、この絵はな、先生、磯部らしくてええと思うけど、、、教室の後ろにははれんよ。」
と、言われました。
そうです。美術の時間に書いたみんなの絵は、その週にあった授業参観の日に後ろに張られることになっていたのです。。
先生は、「もう一回今度は、こんな、ちっちゃいカニで大きなカニ書かんでも大きなカニ一匹書けばええやないか」と言われたのです。
僕は目にいっぱい涙をためて、
「ちっちゃいカニで大きなカニ書かんと意味ないんじゃ~~!!!!!!!」っと カニの絵を持ってダッシュで家に帰ったのです。
小さい身体で大きなプライドを兼ね備えていた僕は、かなりの精神的ダメージを受け,暴れ周り、酒をかっくらい、、は、してませんが、部屋でずっと泣いとったのです。
当時、僕を泣かせる事に生きがいを感じていた、兄と姉には案の定大笑いをされ、僕は、ちっちゃいカニで書いた大きなカニの絵をくしゃくしゃにして投げ捨てたのでした。
仕事から帰ってきた、うちのおかんに姉貴が話したらしく、次の日朝、機嫌の悪い僕に、
「男がいつまでもいじいじしんさんな!あんたが自信もって書いた絵なら、結果はどうでも
どうどうとしなさい!」と一喝されました。
「どうせ、おかんもわかってくれんのんじゃーーー!!」とまたもや号泣(ほんまに涙腺ゆるかったなあ)
結局、頑固にもう一度書くことを拒んだ僕の絵だけ、参観日には、貼られませんでした。
でも、子供の頃って本当に不思議なもんで、あんだけ悔しかったり悲しかったりしても,次の日には、鼻くそほじって、給食の休んだ人分の牛乳を奪い合ったり,,あっという間に忘れてしまってました。。。。
1学期も終わろうとしてた頃、終わりの会が終わって帰ろうとしたら、先生に、「磯部、ちょっと職員室にきなさい」と言われたのです。
僕は、学校で禁止されていた、帰り道で駄菓子屋に行く!という行為を数人の友達とやっていて、それがバレた!!っと思ったので、おそるおそる、職員室に入ると、、先生が腕組みして案の定待っていました。
「磯部ちょっとここに座りなさい」と。。。。
やばい。。。。。と思って、下を向いていたら、
「磯部、すごいな、おめでとう!ほら、金賞だぞ、トルフィーと賞状な」
・・・・え?
何を言っているんだこの人は。。と思いながら顔を上げると、確かにトルフィーと賞状に「金賞 磯部俊行殿」と書いてあった。
「なんですか?これ」と先生に尋ねた。
「これはな、市役所が毎年やってる絵のコンテストで低学年の部で磯部の絵が金賞とったんよ!!」っと先生は嬉しそうに話した。
「ごめんな、先生は見る目なくって、、磯部のお母さんが、このコンクールにカニの絵をだしたんだってな」とこれまた嬉しそうに話した。
そうです。おかんが一度は、くしゃくしゃにしかけた絵をアイロンで伸ばして、市役所のコンクールに僕に黙って出していたのです。
そして金賞。
息子を想う母親の心を今すごく感じます。
いいはなシーサーだと思います。
ただ、、、、、、、、、
僕の記憶が、この話よりも、強烈に「記憶」として強く残っている事が2つ。
1つは、おかんが市役所にこの絵をだしたのですが、タイトルを勝手につけてだしたのですが
そのタイトルが、、、、、、、、、、
「子ガニの反乱」だったとこ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
2つめは、僕は金賞以降、かなり天狗になり、心は「天才!子供画家!」だったみたいで
まだ、親父が生きてたとき、すし屋を経営していて、店の休みの日に、両親を驚かせようと思い
勝手に店に入って、絵の具で店の中の壁に、「ちっちゃいカニで巨大カニ」を書き、、、、、
次の日、親父にばれて、ボコボコにされたこと。。。。。
それ以来、人前で絵を描くことは無かったのですが、、、今回25日のプレゼントCDの盤面に、私の絵が起用されたのです。
どうですか。。ご覧のとおり、才能は小学2年生の時のまま止まっています。(笑)
いや、中身はいいのでね。。
25日はGETしてくださいね。。。
小学校2年生美術の時間に、沢山のちっちゃいカニで巨大カニを書き,自分では、かなりの力作であり、
「僕はもしかしたら、将来絵描きになるんじゃないだろうか」
と思っていたところ、僕の絵の出来上がりに、クラスの皆が悲鳴をあげ、泣き出す女子さえいたのです。
そうです。カニの大量発生的な、、そんな感じで気持ち悪かったそうで、後で先生から呼び出されて、
「磯部、女子が怖いっていいよるから、この絵はな、先生、磯部らしくてええと思うけど、、、教室の後ろにははれんよ。」
と、言われました。
そうです。美術の時間に書いたみんなの絵は、その週にあった授業参観の日に後ろに張られることになっていたのです。。
先生は、「もう一回今度は、こんな、ちっちゃいカニで大きなカニ書かんでも大きなカニ一匹書けばええやないか」と言われたのです。
僕は目にいっぱい涙をためて、
「ちっちゃいカニで大きなカニ書かんと意味ないんじゃ~~!!!!!!!」っと カニの絵を持ってダッシュで家に帰ったのです。
小さい身体で大きなプライドを兼ね備えていた僕は、かなりの精神的ダメージを受け,暴れ周り、酒をかっくらい、、は、してませんが、部屋でずっと泣いとったのです。
当時、僕を泣かせる事に生きがいを感じていた、兄と姉には案の定大笑いをされ、僕は、ちっちゃいカニで書いた大きなカニの絵をくしゃくしゃにして投げ捨てたのでした。
仕事から帰ってきた、うちのおかんに姉貴が話したらしく、次の日朝、機嫌の悪い僕に、
「男がいつまでもいじいじしんさんな!あんたが自信もって書いた絵なら、結果はどうでも
どうどうとしなさい!」と一喝されました。
「どうせ、おかんもわかってくれんのんじゃーーー!!」とまたもや号泣(ほんまに涙腺ゆるかったなあ)
結局、頑固にもう一度書くことを拒んだ僕の絵だけ、参観日には、貼られませんでした。
でも、子供の頃って本当に不思議なもんで、あんだけ悔しかったり悲しかったりしても,次の日には、鼻くそほじって、給食の休んだ人分の牛乳を奪い合ったり,,あっという間に忘れてしまってました。。。。
1学期も終わろうとしてた頃、終わりの会が終わって帰ろうとしたら、先生に、「磯部、ちょっと職員室にきなさい」と言われたのです。
僕は、学校で禁止されていた、帰り道で駄菓子屋に行く!という行為を数人の友達とやっていて、それがバレた!!っと思ったので、おそるおそる、職員室に入ると、、先生が腕組みして案の定待っていました。
「磯部ちょっとここに座りなさい」と。。。。
やばい。。。。。と思って、下を向いていたら、
「磯部、すごいな、おめでとう!ほら、金賞だぞ、トルフィーと賞状な」
・・・・え?
何を言っているんだこの人は。。と思いながら顔を上げると、確かにトルフィーと賞状に「金賞 磯部俊行殿」と書いてあった。
「なんですか?これ」と先生に尋ねた。
「これはな、市役所が毎年やってる絵のコンテストで低学年の部で磯部の絵が金賞とったんよ!!」っと先生は嬉しそうに話した。
「ごめんな、先生は見る目なくって、、磯部のお母さんが、このコンクールにカニの絵をだしたんだってな」とこれまた嬉しそうに話した。
そうです。おかんが一度は、くしゃくしゃにしかけた絵をアイロンで伸ばして、市役所のコンクールに僕に黙って出していたのです。
そして金賞。
息子を想う母親の心を今すごく感じます。
いいはなシーサーだと思います。
ただ、、、、、、、、、
僕の記憶が、この話よりも、強烈に「記憶」として強く残っている事が2つ。
1つは、おかんが市役所にこの絵をだしたのですが、タイトルを勝手につけてだしたのですが
そのタイトルが、、、、、、、、、、
「子ガニの反乱」だったとこ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
2つめは、僕は金賞以降、かなり天狗になり、心は「天才!子供画家!」だったみたいで
まだ、親父が生きてたとき、すし屋を経営していて、店の休みの日に、両親を驚かせようと思い
勝手に店に入って、絵の具で店の中の壁に、「ちっちゃいカニで巨大カニ」を書き、、、、、
次の日、親父にばれて、ボコボコにされたこと。。。。。
それ以来、人前で絵を描くことは無かったのですが、、、今回25日のプレゼントCDの盤面に、私の絵が起用されたのです。
どうですか。。ご覧のとおり、才能は小学2年生の時のまま止まっています。(笑)
いや、中身はいいのでね。。
25日はGETしてくださいね。。。
