人と人とが出会い、お互いの心に触れ

それが、心地いいと感じた瞬間から

恋が始まる。

恋という感情はやがて愛情に変わり

様々なものをお互いの力を合わせて

紡いでいく。

それが「恋愛」でありその先にあるのが

「結婚」だ。

家庭を持ち、お互いの血が流れた子供が

産まれる。

子供の成長を喜び、時には辛さや

悲しみもあるが、それを力を合わせて

乗り越える。それが家族だ。

僕は、そう教わった。

でも、僕は幼い頃からそれがどういう

ものか、全く理解出来なかった。

そもそも家族なんていなかったし、

その大切な事を経験する機会がなかったから

昔から、僕には女性という生き物に

だいぶ偏った偏見があった。

勝手に作って、勝手に産んで

勝手に捨てた、実の母のせいだと思う。

その偏見のせいで、僕は異性と分かり合おうなどという事が

他の周りの同級生よりだいぶ遅れた。

もしも、異性と恋愛をし相手から

僕の過去を聞かれても、正直に言う

事が出来なかった。

「施設で育った」

などというだけで偏見の目で見られ

「可哀想」などと思われるのが嫌だった

そんな僕を変えてくれたのが

中学校のバスケ部の顧問であった恩師だ

人には言いたくない過去の一つや二つ

誰だって持ってる。

わざわざそんな事を気にしてると

一生、結婚なんてできないぞ。と

言われた事をよく憶えてる。

それから僕は自分の過去を隠すのもやめ

異性とも、少しずつ話すようになった。

でも、僕の心の根底にあった感情だけは

ずっと変わらなかった。

「どんなに今の自分を見てもらっても

過去に味わった、痛みや苦しみ、絶望や

失望は絶対に共有出来ない」という事だ

そして、相手が異性なら尚更だという事も

これまでの経験で分かった。

僕は、自分でも今、こうして生きているのが

不思議なくらい、絶望の中で生きてきた

そのせいで、ずっと不眠症という病気も

ずっと治らない。

でも、これまで出会った人は

どんなに辛い事や、悲しい事があっても

何らかの方法で心に拠り所を見つけ

スヤスヤと眠る。

僕と同じように不眠症で、悩んでいる人

病院に通院している人も沢山いる。

そんな人達に共通していえるのは

「ストレスを抱え込んでしまう」

という性格からだと、医師から言われた

だけど、それはしょうがないじゃないか

僕が感じたあの日の絶望感は誰にも

共有できるものではないんだから。

人はそれぞれ、生きてきた場所も

境遇もそれぞれだ。

僕より悲惨な人生を生きてる人も

沢山いるはずだ。

昨日今日知り合った者同士が

分かり合えるなんて絶対にないし

まして、過去の僕の感じた絶望なんて

分かる人なんかいやしない。

何があっても、スヤスヤと眠れる人や

ウチの愛猫を見ていると本当に羨ましい

「明日が本当にやだてくるのか」なんて

不安なんか考えた事もないんだろう。

僕はいつまで、この心の中にある闇を

抱えながら生きていかなければならないんだろうか