「片付ける」「少ないもので暮らす」

 

「空間を整える」。それらは意識的に。無意識に

 

生き方をシフトするための準備。

 

意識的にすれば展開は速いでしょう。

 

でももし。たとえ無意識でも始めれば

 

結果として「そうなる」

 

そして、どちらも、身軽になり次の場面に

 

移り行きます。

 

例えば、過去と決別したり

 

物理的に持っているものを処分してみたり

 

 

どうして、今、そうなのか

 

それは、新しい風景の中で生きていこう

 

と、感じているからではないでしょうか

 

新たな景色が広がる場所では、

 

今までと少し違う価値観があり

 

暮らし方があり、ものの見方があります。

 

仕事、人と人の関係、人と自然。

 

そういった「僕たち」をとりまくすべてのものが

 

次のところに行こうとしている。

 

その現象として表れているのが

 

「片付け」や「整理」であり

 

世界で起きている事を細かく見ていけば

 

見るほど、他の事象の中にもその風が

 

吹いていることに気づきます。

 

僕は、定期的にもものを整理しています。

 

そろそろと思い、始める時もあるし

 

突然「やろう」と思い立ち

 

動く時もあります。

 

そういう時、やり始めた時は分からないのですが

 

整理し終わった空間を見ると

 

それまでの流れが少し変わっていることに

 

気づきます。

 

場が整うと同時に気持ちの整理もつき

 

回復し、時間の流れに「区切り」がついたこと事を

 

知るのです。

 

どちらにしても

 

時間は流れ続け、決して止まらない事を確認します

 

自分がどうであれ、世界は刻々と変化し続けるのです。

 

いろいろな事がある人生です。

 

その中で、せめて、自分で自分を機嫌よくいられるように

 

と思います。

 

その一つが、僕にとっては「整った空間で暮らす」

 

ということなのです。

 

僕の「整った」は風が吹き抜けるような感覚で

 

試すうちに今の形に至りました。

 

あれが気になる、これが目につく

 

それは好きではない、という

 

自分にとって良いとは思えない影響を

 

できるだけ削っていった結果が

 

今、見える風景です。

 

具体的なこととしては、物を少なくする

 

気に入ったものにする

 

色を統一する、詰め込まない

 

今使うものを置いておく、ということでしょうか

 

箇条書きにするといくつかありますが

 

一つ一つはシンプルで、どれも繋がっています。

 

そしてそれは僕自身の投影でもあります。

 

必要なものをは本当に少ないと思います。

 

沢山あっても使う物は限られている。

 

けれど、必要な物が少なかったとしても

 

人には時に不要だと思われることもいるのです。

 

どこに向かう時、最短距離がいいいように思えても

 

実際は、寄り道したことで

 

息を呑むような風景に出合うこともあれば

 

予定を変えたことで誰かと巡り合う

 

そんなこともあるからです。

 

何かを手にし、手にしないか

 

どんなものを残し、残さないかという選択は

 

それに似ています。

 

必要だと思うものと、ハッとする景色と

 

そのふたつを手にすること、と。

 

そして、それはその時の「自分」でもあるのでしょう。

 

過去の自分ではなく、ずっと先の未来の自分でもなく

 

「今の自分」その今の自分の思いがその場に

 

「ある」のです。

 

 

空間や物を「自分自身」と、とらえてみると

 

もう、次の風景が見えているかも知れません。

 

軽やかに次の場面に行こうとしている、そんな自分が