児童養護施設から引き取られて
両親に育ててもらうことになってから
母は僕にそれまで感じたことのない
「家族の愛情」というものを与えてくれていた。
まだ10歳の小さな僕でも、それを感じることができた
そんな生活の中、時折、母が父の母親
つまり、姑である祖母に泣かされているところを
見かけることがあった。
祖母はとても厳格な人で、僕に対する教育も
厳しい人だった。
母の自死を機に僕は家族とは疎遠・・・というより
絶縁状態になっていたけれど
母の命日には必ずお墓参りにこっそり行っていた。
随分前からお墓にあるロウソク立てが破損していたのが
気になっていて、修理をする許可をとるために
久しぶりに、父の住む家に電話をかけた。
すると、祖母が脳梗塞で倒れた、と報された。
僕はいつも母を泣かす、口うるさい祖母が嫌いだった。
でも、その祖母も97歳・・・脳梗塞の上にコロナの
疑いがあるので、コロナウイルスの専門病棟に
入院していて、家族も面会できないとのことだった。
例え嫌いだった祖母でも、その祖母がいなかったら
今の僕はない。
やっぱり僕の歴史の一部なんだ。
その人の命が危ない、ということを
さらりと言う、父に嫌悪感を感じた。
母が自死したときも、そうだった。
父は自分の都合の悪いことからすぐに目を逸らす
卑怯な人だった事を思い出した。
そんな人でも、僕を引き取ってくれた人に変わりはない
だけど、自分が愛した人や自分を育ててくれた母の
死から目を逸らすようなことだけは
やめて欲しい。
父ももう随分と歳をとった。持病もある。
大切なものから目を逸らし、最期を迎えた時
後悔だけはして欲しくはない。
父と顔を合わすことはもうないだろうけど
限りある時間、一度だけの人生を後悔で
終わらせる、なんて寂しい思いはさせたくない
そう思った。
僕自身、決して正しい人間なんかじゃない
欠陥品だ。
だけど、正しくありたいとはいつも思う。
それが、母が、妻が教えてくれたことだからだ。