少し昔、妻を失い途方にくれていた時期に
僕の人生は「名もない毎日」だねと言われた。
そこまで親しくない人からいきなり言われたので
僕はその言葉の意味を勘違いした。
僕のこのちっぽけな人生のことをディスったのかと思い
ハイハイ、そうですね・・・とその時は聞き流していた。
その後、ラジオでその「名もない毎日」という
曲が流れた。
『急ぎ足を遮る信号に
ついため息ばかりがこぼれる
望むようになれない歯痒さに
言い訳ばかりを探して
歯切れの良い言葉を並べても
嘘っぽさが拭いきれなくて
今 遠ざかる夢に
声もかけられず
また息を詰まらせる
でもねやっぱり思い知るよ
何かを読み取るように
何も聞かずに「おかえり」と笑う
あなたに その笑みに
絶えず にじむ優しさに
生かされていたこと
名もない毎日が
あなたとの毎日が
この景色を「幸せ」と呼べる
日々に変えてくれる
気付けば時間に 人に流され
欲望に怠惰 誘惑に負け
プライドを捨て 頭を下げ
それでもここに居続ける理由
信じ続けてくれるあなたの
こぼれるような 笑顔が見たいから
今また踏み出すよ
名もない毎日を
呼び合える毎日を
守りたいと 思うその度に
強くなれるよ
割り切れなさに疲れ
時に顔出す弱さが
信じた道さえ疑ってしまうけど
あなたがいるのなら
立ち入る迷いもきっと
遮るように 歌える
名もない毎日が
あなたとの毎日が
この景色を「幸せ」と呼べる
記憶に変えてくれる
名もない毎日を
呼び合える毎日を
途切れぬように
守りたいと思う程に
強くなれるよ』
僕はその曲を聞いて
あの日あの時、打ちのめされた僕を見て
かける言葉も見つからず、この曲の歌詞のように
生きていけるようになって欲しいと
考え、考え抜いて
伝えてくれたんじゃないかと思う。
しかし、その真意はもう未来永劫、確認することが
できない。
その言葉をくれた本人が
亡くなってしまっているからだ。
当時、肺癌のステージ4でもうホスピスで
生活していた。
自分の死を目の前に、僕に時計仕掛けのエールを
くれたその友の分も、僕は生きていかなければいけない。
僕は本当に良く活かされている。
出会い、助けられ、導かれて、こうして生きている
何人分もの人生を背負って生きていけるほど
僕は強くない。
昔から少しひねくれていて、少し悲観的で
難しいことを考えているようで実はカラッポで
それでも僕は多分、自分が死ぬ瞬間
本当に出会いに恵まれた。
そう思うだろう。
あの日もらった「名もない毎日」を
今日も僕は生き続ける。