これまで僕はたくさんの人との別れを経験した。
母親、施設の仲間、学生時代の友、そして愛する人
初めて精神科にかかった時、その医師に自分の経緯を
話すと、その医師は額に脂汗をかきながら僕の話を
食い入るように聞いていた。話が終わった時
「よく、今の状態でいられますね」
と言われた。
普通の人が僕と同じ質量のストレスを与えられると
心が壊れてしまう、そのくらいの出来事がそれまでの
僕に起きていた、ということだ。
人は、悲しいことや苦しいこと、辛いことと対峙した時
そのストレスを何かによって発散し、自分の心にキリを
つけるらしい。自己防衛反応というモノだ
僕は、それが欠落していると、はっきりと言われた。
そして「うつ病」という病名をつけられ、僕は今でも
その病気と闘っている。
これまではそんな自覚なんてなかったけれど
自分が大切にしていたモノを無くした時は食欲や睡眠欲
などなくなっていたのは事実だし、酷く気分が落ち込む
時もあったけれど、僕は大切なモノを理不尽に奪われた時
そうなるのが普通と思っていた。
だから僕に悲しみがあれば受け取り
喜びがあれば分け合い
道を誤れば叱り
立つ瀬がないときに拠り所になってくれる
世界を愛せなくなった僕が
再び世界を愛せるように
そんな人がそばにいてくれれば・・・と
医師から言われた時、それは「家族」というモノではないか
生まれた時からそんなモノないと伝えると
僕の治療にあたっていた担当医師が病院をやめた。
今の僕にとってうつ病は僕の一部、個性のように
思うようになった。
妻が絶命していた瞬間を思い出すと今でも悲しいし
苦しい。
でも心の穴を必死になって塞ごうとしてくれている人が
いることが今の僕の唯一の希望
何よりも大切な宝物