僕は生まれてすぐに母親に捨てられ乳児院、孤児院で

 

育った。孤児院は18歳までいることが出来る

 

その間に、実の両親が迎えに来て、無事、家族の元へ

 

帰る者、そして僕のように途中で里子として迎えられる

 

というケースがほとんどだった。

 

物心がつく頃には自分がそういう施設で、そういう環境で

 

育ったことを理解していたから、両親がいなくても

 

施設の先生は親代わりだったし、施設で生活している

 

人たちは、みんな兄弟代わりであった。

 

施設に来る人たちの事情はそれぞれで

 

親が刑務所に入った。育児放棄された。

 

DV被害にあった。生まれてすぐに捨てられた。

 

本当にいろんな境遇の子供たちでそれぞれが少なからず

 

心に傷を負っていたかも知れない。

 

僕が5歳の頃、一人の赤ちゃんが乳児院にやってきた。

 

いつものように、事情は聞かされず、その女の子が5歳に

 

なる頃、僕は養子としてもらわれた。

 

その女の子はオルガンがとても上手だったことだけは

 

ぼんやりと覚えている。

 

養子に貰われる際、特別養子縁組という手続きを執るため

 

施設から離れた子供は、どこへ養子に行ったかは分からないようになっていた。

 

ただ、そのオルガンの女の子は施設の先生から「愛」

 

という名前をつけてもらっていたことを思い出した。

 

それから10年以上経った頃、16歳の少女が渋谷で

 

路上ライブをしているというニュースを見た。

 

その時は気にも留めなかったが、ずいぶん時間が経って

 

その女の子が「川嶋あい」という名前だと知り

 

本人の略歴を見ると、僕と同じ施設の出身で

 

オルガンの上手だった「愛ちゃん」ということがわかった。

 

彼女も僕と同じ10歳の時に養子として引き取られ

 

両親とも亡くしている。

 

その後、目標だった渋谷1000回路上ライブを達成し

 

養母の命日に約束していた渋谷公会堂でのワンマンライブも

 

果たしている。

 

その後も何曲もの曲を歌い、今は学校が無く、教育が出来ない国に学校を設立したりしている

 

とのことだった。

 

彼女は高校から東京の堀越学園に通い、同じクラスには

 

山下智久、上戸彩など錚々たるメンバーがいて

 

仕事が無く、皆勤賞をもらった時は悔しくてたまらなかったという。

 

施設で共に育った兄弟たちが今、何をしているか

 

それは、今となっては分からない。

 

けれど、彼女のように、自分の大切な人が亡くなっても

 

諦めずにどんな逆境も乗り越え、夢を叶えた人がいる。

 

別に大した接点もない。会話も交わした記憶もないけど

 

彼女の渋谷での路上ライブ最後の日は東京まで

 

彼女の歌を聞きに行った。

 

最後のライブのラストソングは「天使たちのメロディ」

 

という曲だった。

 

少し離れた場所から見た彼女はとても輝いて見えた。