聖霊強化月間とは、楽しくやりましょうということです(^o^)
異言で祈ることの効用を書きます。
異言で祈ると、聖霊様が祈っている格好になるので、祈りがどんどん進んでいきます。慣れると、30分間祈るのは平気になりますし、何かの状況が整えば、1時間、2時間、ノンストップで祈ることも普通にできるようになります。
長いこと祈っていると、1)その異言の祈りが自分のためのものである場合には、聖霊様が、その祈りの内容のうち自分が知った方がいいものを教えて下さる、2)その異言の祈りが他者のためのものである場合には、聖霊様が、ビジュアルなどでその他者の置かれた状況を見せてくださる時がある、という風になるようです。
私はよく、解決すべき問題がある場合には、「愛する天のお父様、◎◎◎◎◎のために、聖霊様の助けを借りて、異言でお祈りします」と言ってから祈ります。しかし、聖霊様は、自発的に自分の祈りを祈るので、私が「◎◎◎◎」と言った内容とは違うことを祈っているように感じる時もあります。また、まさにそのことを祈っているように感じる時もあります。後者だともちろんうれしいわけです。いずれにしても聖霊様が祈る内容を(異言で祈っている祈りの内容を)、こちらの方がコントロールできるものではないようです。
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。(ローマ8:26-27)
このみことばもパウロ書簡の他の多くの御霊に関する記述と同様に謎な要素を含んでいますが、少なくともここでは、聖霊様が祈る内容は、内住している人の気持ちや意思を離れて、自律的なものだということを言っていると思います。
この自由に祈って下さる聖霊様が、時と場合に応じて、上述のように自分のために祈って下さる時があるわけです。それは大変にありがたいものです。
そして1時間とか2時間とか祈っていくと、どんどん祈りの内容が深くなって、何というか、自分に関する何かが啓示されていくような感じになります。聖霊様が自分のことについて、今までわからなかったことを気づかせて下さる感じです。
それによって、問題解決のまったく新しいやり方が示されたり、やる予定のなかったものが教えられて「なるほど、その手があったか!」と小躍りするようなこともあります。
異言は…教会の中では教えていないけれども、何かのきっかけで聖霊のバプテスマを受ける格好になり、異言も出るようになった、という人がちらほらいるようです。
また、米国の高名な牧師先生の講演で、福音派の教会に通っていた若い頃に教会では異言の祈りを教えないので、自室で聖書の記述を参考に色々と試しているうちに異言が出るようになった、という経験談を聞いたことがあります。
以下のイエス様のみことばは、異言に関しても適用できると思います。
わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。(ルカ11:9-12)
異言が与えられることは、クリスチャンの基本である聖霊様の、そのまた基本でもありますから、さほど難しいことではないです。新約聖書の関連箇所を色々とピックアップして、よく読み込んで、「天のお父様、イエス様、聖霊様。どうか異言で祈れるようにして下さい!」と祈り続けていると、よいチャンスが巡ってくると信じています。
Photo courtesy of Steve Hall