約1ヵ月以上、ばったり更新ができなくなってしまっていたこと
まずは、お詫びします。
そして、永遠に続くかと思われた祭りが、無事、終わりましたこと
心より、感謝しております。
ありがとうございました。
高知から帰ったあたりから、順を追ってお話していきます。
帰った直後から、元町商店街を通れるか?通れないか?の
最終局面+警察協議が控えていました。
お祭りに来てくださった方、ご参加くださったチームの皆様には
おわかりのことと思いますが、当初の予定では、
元町商店街は、21日11時からの湊川神社の流れに沿って、
13時~15時の間、6丁目、5丁目とパレードとなり、
そのまま、メリケンパークに流れる、というスムーズな進行になっていました。
ところが、6月に、元町5丁目さんより、前回のお祭りで爆音が激しすぎて
ものが落ちて壊れていた、などの声があがり、元町5丁目での実施は困難となりました。
けれど、ほんとうにたくさんの地元のみなさまのお力添えで、
時間帯を夜に変更し、6丁目~1丁目まで、全丁を対象とすることで
一応のご理解をいただく方向となっていました。
8月18日、その最終のご確認の会合に出かけるとき、電話がかかってきました。
ものすごく、いやな予感がしたのですが・・・
やはり、それは、母の死を知らせる電話でした。
せつない話ですが、母は気ままな一人暮らしを選んで
大好きな仁川の実家におりました。
けれど、姉がしっかりと食事など、しっかりケアはしてくれていました。
神戸の海が一望に見渡せる家で、夏でも涼しく
母は、夜は、びっちり雨戸を閉め切って寝ていました。
姉が、実家に行ったときには、寝巻きのままリビングに倒れていたらしく、
水でも飲もうと起きて、転んでしまったのでしょうか?
この猛暑で、脱水状態になって、亡くなってしまっていたそうです。
(診断結果は、老衰でした・・・)
もう、亡くなってしまっているなら、慌てても仕方がない、
と覚悟を決めて、涙をこらえ、心を強くし、
私は、元町の会議に行きました。
いつもより、きっぱりとした口調で、どうしても、
ご理解ください。と告げたと思います。
全国から神戸に元気を!と集まってきてくれる仲間たちを
どうか、あたたかく迎えてください!
真剣な想いが伝わりました。
ついてきてくれてた若い430が、
私のひそかな思いをいっしょに背負ってくれました。
会議が終わって、すぐに、たつが迎えにきてくれ、
仁川の実家に送ってくれました。
娘も東京からかけつけ、その晩は、娘とふたりで
母といっしょにすごしました。
母は、最後に颯爽とスタジオから贈ってもらったお花を
一番お顔の近いところと胸に抱き、安らかに旅立ちました。
父が亡くなってちょうど10年。(つまり、颯爽設立の年・・・後ほど書きます)
やっと、父のもとに行けた、とほっとしているのではないか?と思います。
さすがに、しばらくは・・・動けませんでした。
約1週間。
みんな、ほんとうに、心ひとつに動いてくれました。
でも、あの1週間があったから、
いろんなことが見えてきたと思います。
なんといっても、ダイエットを決意したわけで。。。
その効果は、お会いしたみなさまがご存知の通り、
この1ヶ月で8キロのダイエットに成功し、体調も良好です。
(まだまだですが・・・)
身軽になったからだで、元町商店街のパレードを見守りながら、
もっと、早く決まっていたら・・・
もっと、たくさん地方車がだせれば・・・
などと思いながら、しっかり見に来てくださった
地元の皆様に、感謝です。
今後、受け入れていただけるのかどうか・・・は
ほんとうに、今からです。
神戸でよさこいは、フィフティ・フィフティ。
みんなの想いが伝わったことを祈るのみです。(つづく)