皆さん今年のGWはいかがでしたか?早いもので、このアルバムレポートも最終回となりました。今回はラスト2曲。さて、早速いきましょうか。
13. 神様からの贈り物
「ジャンヌ・ダルクによろしく」「風のタイムマシンにのって」に続き、初めて聴いた瞬間から心を掴まれた曲である。歌詞はこう始まっていく。
ニッポンの夜明けは暗い
でも先人は凄い
ポップミュージック 我々に教えてくれた
桑田さんはひとり紅白歌合戦やシャンソンの夕べライブでも、日本のエンタメをリードしてきた先達へのリスペクトを表明している。それはなにも音楽に限った話ではない。ライブに一度でも足を運んだ人はわかるであろうが、桑田さんのMC、話術は天下一品である。2013年の灼熱のマンピーでは、預けたサザンの屋号を返してもらおうということで神主さん巫女さんを登場させた。2014年の年越しライブでは同年に紫綬褒章を受賞したことを硬い感じで発表するのではなく、あのような演出でひと笑いをとった(ちなみにあらかじめ述べておくがこの演出が不適切なものだったのは確かであると私も思う。一方で桑田さんなりの照れ隠しが少し行き過ぎたものだったとも思っている)
他にも様々印象に残る演出はあると思うのだが、一貫して桑田さんやサザンはベストテンでの「目指しているのは目立ちたがり屋の芸人」というスタンスを保っているようにも感じる。それが半世紀近く日本の音楽界を牽引してきた理由であろう。桑田さんとはまた別に、ある音楽界の巨匠と呼ばれた人はあるインタビューにてこう語っている。
「奇をてらうことと独創性というのは紙一重のように見えるけれども、実は大きな違いがある。」
悪い表現をさせてもらうと、今の時代、何でもかんでも多様性・個性といえば通じる時代になったし、何か目新しいものにメディアも一般人も釘付けになっては一瞬でブームが終わり、それこそ波のように引いていくということは山ほどある。これまでの流れとは違うことに手を出すのは、実は意外にたやすいこと。前例までのものを外せば良いわけだから。しかしながら、それはただ奇をてらっているだけである。逆に、これまでの流れを受け継いだ上で創意工夫をすること、独自路線を開拓すること、それが独創性だという。当時のことや作曲や演奏についての教養はないものであまり多く語れはしないが、少なくとも桑田さんの作る曲は奇抜で常識を破るものばかりだったかもしれないが、そこにはただ奇をてらうのではなく、先達から脈々と続いた文化の血を引いているものだったのではないだろうか。だからこそ半世紀近く人々の心を掴み続けるのだと私は思う。
そんなリスペクトが詰まった歌詞にはこのようなフレーズが。
憧れのスター 大好きな歌
青春の日々を謳歌したんだ
歌の文句なら そう“また逢う日まで”
上を向いて歩こう
ストレートな歌詞であることが桑田さんのリスペクトの大きさを表しているようにも思える。もし小説だとしたら、「壮年JUMP」はこの曲の前日譚のようなイメージ?なのだが、それについては今回割愛する(架空ライブ2025にて紹介しているので、よければ読んでいただきたい)。また、
黄昏てOnce 今は消えてTwice
ここは特に意味がないのかと思ったが、TwiceというのはやはりあのTWICEのことだろうか。桑田さんはソロの「過ぎ去りし日々(ゴーイング・ダウン)」の中でも
今ではONE OK ROCK
妬むジェラシー
という歌詞を書いているからその可能性は高いと思った。桑田さんは半世紀近く音楽界を走ってきたというプライドがあるからきっと今もこれだけ響く曲を書いているのだと思うが、そのプライドというのは決して独りよがりな頑固さのようなものではなく、むしろ現代の音楽に常に目を向けて更新していっているという意識にこそあると思う。それはロッキン2024を見ても明らかだった。緑黄色社会をはじめとする若いアーティストたちを引き立て、夏フェスを勇退する姿を我々は目にしている。先達へのリスペクトだけでなく、後に続く人々にも光を当てるというのはサザンだからこそ出来るのだと感心した。
薔薇色のニュース
という表現はまさに「史上最恐のモンスター」の
また嘆きのニュースがゴールデンタイム
の歌詞と対をなす表現。色々ある世の中でもエンタメをいつも心に生きていればきっと未来はある、という希望も与えてくれる極上の一曲。
14. Relay〜杜の詩
2023年リリース、45周年3部作の最後を飾った曲。当初夜遊びの放送を聴くまでは、そのタイトルだけを見てツアーのテーマソングなのかと思っていた。私が物心ついて初めて映像を見たサザンのライブは2013年の「灼熱のマンピー」である。宮城の千秋楽を中継した映像で、アンコール時に「青葉城恋唄」を演奏していたのが印象的だ。その歌詞の中に、瀬音ゆかしき杜の都というフレーズがある。そして、このRelayというのは運動会でもお馴染み、リレーの英語であるから、「杜(=仙台)を皮切りに全国へRelayしていくのか」と勝手に思っていたが、ふたを開けてみたら全く違う内容であった。思い込みというのは怖いものである。内容はサザンが名曲を生み出してきたビクタースタジオの近く、神宮外苑における再開発に対して一石を投じたものになっている。また、
誰かが悲嘆いてた
美しい杜が消滅えるのを
という歌詞から始まるが、この誰かというのは坂本龍一さんのことであろう。桑田さん自身も楽曲制作のきっかけを話す中で触れている。簡単にまとめてしまうとするなら、再開発に対して反対の声を上げているという歌詞になってしまうわけだが、案の定、これが発表されると瞬く間に論争は広がっていった。
(⚠️以下、過激な内容も含みますので不快な気持ちになる方がいれば申し訳ございません)
実はこのブログを大体書き上げたあたりに、ネットニュースで宇多田ヒカルさんの新曲が話題に上がった。新曲の歌詞に、いわゆる夫婦別姓に言及する部分があった。それにより、「アーティストの政治的な発言」に対してSNSが炎上した。この件を受けて、改めてこのブログの内容も膨らまそうと思った。
2014年。桑田さんは紫綬褒章を授与され大きな話題となった。一方で、その年末の年越しライブでは、それに関する演出が炎上のきっかけとなってしまった。いつもであれば桑田さんなりのユーモアと、我々ファンは受け止めるが、その時はそうもいかなかったのだろう。ズボンのポケットから取り出した紫綬褒章をオークションのように客席に見せるなどのパフォーマンスが、天皇に対する不敬であると、いわゆる右派からの反感を買った。それに便乗するかのごとく昔「LOVE KOREA」を作っていたことや、のちにリリースとなった「アロエ」も「A l o e という字面の真ん中の2文字をくっつけると、Abe(=安倍元総理)になる、これは日本政府への挑戦状だ」など、しばらくの間、サザンに対する世間からの非難は続いていた。確かに、桑田さんの当時のパフォーマンスは到底容認されることではないように私にも思える。ただ、それによって昔の関係ない作品が傷つけられたりすることのほうが到底ありえないように感じるのは私だけだろうか。
今回の曲についても、過去の一件にまた火がつき色々と界隈にも外からの嫌がらせなどがあったのは知っている。しかし今回のRelayは、果たしてそういう政治思想と絡んだものだろうか。私に言わせれば、自分たちの政治思想を主張するために、名の知れたサザンのことを叩いて大きく見せようとしているだけに思えてならない。美しい風景、自分たちが見てきた懐かしい景色が変わりゆくのを嘆くのは自然な感情ではないか、また故人の意志を受け継いで伝えることに何の問題があるのだろうか、と私は思うのだ。歌詞だけを見てそんな政治思想に至るだろうか。それに、
時が止まったままの
あの日のMy Hometown
二度と戻れぬ故郷
というのは「東京VICTORY」の一節であるが、ここにも桑田さんの変わりゆく街並みへの想いは表れている。なぜこの曲は許され、Relayは非難を受けねばならないのか。東京VICTORYの歌詞も、そう言われてみればそうか!レベルで普段は気にしていない。Relayも桑田さんが過去に紫綬褒章の件を起こしたのが周知されているからそう見られるのであって、何にも知らない人がこの曲だけ聴いて政治思想と結びつけるのであれば、それは不自然にねじ曲げられたものだと言えよう。
同じく「ピースとハイライト」もそのせいで時の彼方へと葬り去られた曲である。曲だけ聴いていれば、右だの左だの難しい発想には至らないのに、どうしてあれだけ騒ぎ立てることができるのか。それは桑田さんが左派である、あるいは日本を嫌いな人間だ、というフィルターを通して見ているからであろう。その人がフィルターを通して見たいと思うのならそれは自由だが、それをさも正しい絶対的な事実だとか、都合がいいからそれに簡単に便乗して叩くのが納得できないと私は思う。長渕剛さんの件も同様である。「長渕の曲が好きだから桑田は聴かない」だとか「長渕が嫌ってるみたいだから桑田の曲は〜」というような第三者を引き合いに出してきて自分の好き嫌いを語るのは本当に勿体無いと思う。良いものは良い、心が動かされるものは動かされる、となぜ割り切って考えないのだろうか。自分の感性にもっと正直に、もっと自信を持ってエンタメに向き合うべきではないか、そんなふうに思うのだ。例えばあいみょんさんが「盆ギリ恋歌よく聴いてて大好きです!」と言っているのを聴いたならば、それだけで盆ギリ恋歌=良い曲と盲目的に判断するのではなく、一度聴いてみて自分なりに好きになったのならそれは自分の感性でもって音楽に向き合っていると言えるだろうし、逆にあまり心に刺さらなくともそれは正直に音楽と向き合った上で答えを出したのだから何ら問題はないのである。Relayを聴いて、メロディが美しい曲だ、と直感で思ったのなら歌詞など関係なく鼻歌で奏でるなり、口笛を吹くなり、それだけでも十分楽しめる。曲は曲、歌詞は歌詞、政治は政治、音楽は音楽、そして他人は他人、自分は自分である。
サザンはとっくのとうにそれを私たちに教えてくれているではないか。マンピーはマンピー、TSUNAMIはTSUNAMIである。同じ人が同じような雰囲気の曲しか書いちゃいけないとか、真面目な曲ばかり歌っている者がたまにはエロの路線に走ることは許されない、とかそんな決まりはないわけであって、桑田さんはいつの時代も多岐に渡る曲を我々に贈ってくれている。だから、人生のどの場面でも味方してくれる曲があるのではないかと思う。
ちなみに歌詞・メロディについてはあまり触れなかったが、それにも私なりの考えがある。さっき少し述べたが、私はこの曲のメロディの美しさに惹かれて今も聴いている。だから、逆に歌詞について多く語りたいとは率直には思わないし、メロディも音楽的な要素とか知識まで持ってきてまで語りたいとは思わない。それも自分なりの推し方である。
Relayからは神宮外苑のこと以外にも多くのことを考えさせられた。改めて、サザンの奏でる音楽がいろいろな側面を持ち、それでいて全て深いものだと実感させられたそんな一曲である。
と、いうことで、ラストまで相当長くなってしまいましたがもし最後まで読んでいただいた方がいるとすれば本当にありがとうございました🙇♂️
長い歴史を持つサザンだからこそ、昔の作品のオマージュなのではないかとか伏線回収なのではないか、など色々と想像が膨らむ16枚目のアルバムだったと思います。推し方は人それぞれ。これに尽きるのではと最近特にそう思います。皆さんはこのアルバムを通じてどんな推し方を追求しましたか?機会があれば、皆さんの推し方もぜひ教えてくださいね!
それでは、また次のシリーズまでお互い元気に頑張りましょう!!