生とは?死とは?人生とは?哲学・心理学から思考を巡らす京大生さっしーのブログ

生とは?死とは?人生とは?哲学・心理学から思考を巡らす京大生さっしーのブログ

苦しい人生、退屈な人生、なぜ生きなければならないのか。

なぜ自殺が止まないのか、なぜ殺人を止められないのか。

その根本を探し、哲学、心理学から解決を考えます。

Amebaでブログを始めよう!
こんばんはー( ̄▽ ̄)

いやぁ今日も暑かったですね…。

最近ばててます…。


では、まず前回の復習。

漢の武帝


漢の武帝は一国の皇帝であり、栄耀栄華を極め、

誰もが羨む生活をしていました。

しかし、そんな生活をしていたにもかかわらず、満たされない心の内を漢詩にしています。

「歓楽極まりて哀情多し」


どうして、歓び・楽しみの絶頂に虚しい、哀しい気持ちになるのか。

今日はその話をすることになっていました。


「歓楽尽きて哀情多し」


これはどのような気持ちなのでしょうか。。。

前回話をしたように漢の武帝のような生活をしている人ならば、

「歓楽極まりて哀情多し」というのも感じることがあるかもしれません。

とは言っても、さすがに漢の武帝のような生活をしている人は少ないでしょう。

だから漢の武帝のように感じることはないかもしれません。

しかし、私たちにも同じようなことを感じることがあるのです。


「歓楽極まりて哀情多し」は、「歓楽尽きて哀情多し」と言われることもあります。

どんなに楽しいことでも必ず「尽きる」、「終わってしまう」という時があります。

すると「終わってしまった」という虚しさ、寂しさが出てくる。

それを「歓楽尽きて哀情多し」と言われるのです。



しかも、「歓び」、「楽しみ」が大きければ大きいほど、

哀情、さびしさ、虚しさはより大きくなり深刻なものになるのです。


経験したことありませんか?




終わったあとのポカーンとした気持ち



私たちの生活を振り返ってみましょう…。

私たちは毎日、毎日、勉強や仕事、

日々やるべきこと、やらなければならないことに追われて生きています。

そんな生活じゃあ息がつまるということで、

たまに遊んだり息抜きをしたりします。

皆さんはどんなことしますか?



高校までなら、部活、学校祭、修学旅行、卒業式

社会人になれば社内旅行や飲み会

学校や会社がたくさん用意してくれます。


学校や会社の人とじゃ息抜きできないという人は、

カラオケに行ったり、テーマパークに遊びに行ったり、

山だ、海だ、漫画だ、音楽だ

様々なことをします。


ところが、楽しいひと時が終わると、とたんに寂しくなったり、つまらなくなったりしませんか。


体育祭で応援団をしたり、

文化祭で出し物をしたり、

修学旅行で青春の一ページを作ったり、

部活で燃え上がったり…。

確かに、これらのことに夢中になっている時は、

とても楽しくこの時間がずっと続けばいいのに、と思います。


では、この楽しいひと時が終わると、どうなるでしょうか。

何ヶ月もかけて頑張って作った体育祭のモニュメントは一瞬で壊され、

文化祭で作った出し物にはホコリがつもりはじめます。

体育祭、文化祭、修学旅行そして部活の大会が終わった後、

私たちはまたいつもの日常にすぐ戻ってしまいます。


どれだけ楽しかったとしても、幸せだったとしても、

関係なくまた同じ電車に乗り、同じ所を通って、

同じ授業を受けるのです。


そうなると楽しかった時のことが思いだされ、余計に悲しくなります。

心にポカーンと穴があいたような気分になると表現する人もいます。


これを「歓楽尽きて哀情多し」というのです。

感じたことのない人はいないでしょう。


では、どうして「歓楽極まりて哀情多し」が「歓楽尽きて哀情多し」とも言われるのか。

次回、明らかにしたいと思います。


○まとめ
・「歓楽極まりて哀情多し」は「歓楽尽きて哀情多し」とも言われる。

・楽しかったときが終わると途端に虚しさがこみ上げてくる。


今回は以上です。



一人でも多くの方に見て頂くために、
ブログランキングに参加しています。
ぜひポチっと押して、応援して下さい!



哲学・思想 ブログランキングへ



にほんブログ村