テトの日2024おめテトー!
というわけで今年もテトの日にアップできました
さて、今回はちょっと曲や詞について書きます
ちょっと長文になるかもしれませんので興味がある方だけでいいですよ
動画見ていただいた方ならわかると思いますが、今回ちょっと押しつけがましい歌詞になっております
ね、「今を生きて」とか「生きていればきっと笑えるさ」とか「寂しくなったらこいつを聴け」とか…
正直、音楽を通して他人にあれをやれ、これをしろ、とか伝えるのはあまり好きじゃないんです
(今までも気づかないうちにやってたかもしれんけど)
それこそ「生きろ」だなんて簡単に言っていい言葉じゃないとも思うんです
例えば、もし自殺志願者が私の詞や曲を耳にして、生きることを選んでくれたとかなら、それはとても嬉しいことだと思うんです
でもその先のことなんて正直私にはわからんのです
「あなたが生きろと言ったから生きているんです。でもこんなに辛いじゃないですか。どうしてくれるんですか」
なんて言われても責任はとれん。
結局私の言葉ってのは軽くて、常に嘘と隣り合わせで、誰かの心を動かしたり救うことができたとしてもそれは一瞬のことでしかないのです。
それを理解しているし、自分が無力なのもわかってるし、責任なんて負えないから今までは「生きろ」なんて歌詞書けなかったんです
あと実際「死んじゃいけないよ、生きて」なんて軽々しく言って、でも言った相手に対して何をしてあげるわけでもない、そんな無責任な奴の姿も見たことがあって、すごく嫌だなって思ったこともあるので。
ロックンローラーは嘘ついてごまかしてもいいけど、重要なところでは嘘ついちゃいけないって思ってるので。
でもなぁ、と。
心から「生きてこそ」とも思うわけで。
哲学や宗教にあまり興味がないので「死後の世界」や「自殺は殺人と同じ、死後は地獄に堕ちる」とか正直ピンとこないし信じちゃいないわけで。
死んだら終わり、それだけ。
死を「永眠」という言い方で表現することもありますがまさにそれ。
たぶん死んだら永遠に眠っているような感覚になるんじゃないかって思うんです。
死後の世界なんてない、死んだら終わり、と。
優しいとかたまに言われることはあるけど、死に関してはすごいドライな考えなんですよね私。
でも、だからこその「生きてこそ」なんじゃないのかと。
だから、生きていればとか希望を持ってしまうのかもしれない
まだ死んでないから、終わってはいない、って
とはいえ他人様に「生きろ」なんて言うのは違うと思いもする
自由というのはロックと密接な関係にあるのである意味死を望むのであればそれも尊重しなきゃって
そういや「ロックとは死狂いと見たり!」なんて昔長崎のバンドマンが言ってたなぁ
カッコよく死にたいとか生きているのが嫌で死にたいとかなんとなく死にたいとか…いろいろあるよたぶん。
だから本当は軽々しく「生きろ」なんて言っちゃいけないんだよ
とはいえ、とはいえ…なんだよな。
幸せな私はやっぱり死んだら終わり、生きていれば…なんて思ってしまっているわけで
心のどこかでみんなそうだろって思ってて、生きてほしいって思っているわけで
でもそれを押し付けるのはちょっと違うし、責任も取れんし
葛藤、だよね。
でも言わずにはいられないわけで
なにがあったわけでもないけどさ、思ってしまったら言わずにはいられないのです。ロックンローラーなので。
私の詞や曲にどれだけの意味や力があるかわからんけど
本当は口が裂けても言えんよ「寂しくなったらこいつを聴け」なんて
でも、そう思いつつもこんな曲を作っちゃったわけで。
線を引いちゃったわけですね。
別に約束をしたわけじゃないし、今後誰が聴くかもわからんけど、この曲でこういうことを伝えた以上は後には引けないなと
背負わなきゃいけないものも勝手に増やした(と思ってる)し責任も(勝手に)負わなきゃいけない。
「いい曲を作る人」から「いい曲を作らなきゃいけない人」になった、みたいな。
勝手に決意表明的なこと思ってるだけだけど。
あと自殺もできないね(しないけど)
少なくとも私自身が自殺でもしようもんなら
「なんだよあいつ、歌詞ではあんなこと書いといて自分は自殺かよ」
って言われかねないので。
そうなると私が作った曲や詞が嘘になるから。
ロックンローラーは重要なところでは嘘ついちゃいけないからね。
これ書くべきじゃなかったのかもなぁ
いや曲じゃなくてこの記事ね
ライブハウスでたまに「この曲は死んだ友達の為に作りました」なんて言う人いるけど、正直好きじゃないんだよね。
それってさ、遠回しに「これはいい曲です」って言ってるようなもんじゃん
評価って本来はフラットな気持ち、っていうかただ見て聞いて好きか嫌いか判断するだけじゃん
そこで「友達の死」なんて言い出したら「いい曲」って言うしかないじゃん
もしそこで「クソみてーな曲だな」なんて言っちゃったら人でなしじゃん
だから聴いてもらう前に(後でも)「死んだ○○の為に作った」なんていうのは好きじゃないんだよ
まぁ例えば雑誌のインタビューとか人に聞かれて「実はあの曲は…」って答えるのはいいと思うけど
あとしばらく経ってから「実は…」っていうのもいいと思う。
誰かの死を思って曲や詞を作ること自体はいいと思うし歌詞なんかで誰かの死を連想させるとかも全然いいとも思う。これは曲や詞の表現だし。つーか私もこれは良くやるし。
だから本当はこんな記事は書くべきじゃないとも思ってはいるんだけど、決意表明をしたかったのか心配してほしくなかったのか(私は元気です)書いちゃったんだよね
胸を張りたいよ、ほんと
「私の曲を聴けば元気が出るよ」って言いたいよほんとは。でもわかんねーもん。
江頭2:50はすごいよ。自身のYoutubeチャンネルで「死にたくなったらこれを見ろ。死ぬのがばかばかしくなるから」って言ってるんだよ。本当にすごい。自信がなきゃいけないし、それだけのことやらなきゃいけないし、もちろんプレッシャーや責任感もすごいだろうし、これまでの実績がなかったらそもそも見てもらえないだろうし。
まあ残念ながら中途半端な私はまだまだその域に達していないのでそんなことは言えないけど(言っちゃったけどさ)
でもまぁ本当に、私の動画を見て、曲を聴いてくれた方々には本当に感謝しています
ありがとうございます
再生数がどうだとか他人の意見は~とか言うけど、でもやっぱり数字伸びたり(Xとかでも)いいコメント書いてもらったりしたら嬉しいよ
長々書いたけど結局のところ今までと一緒、今後も私は私なりにいい曲や動画を作っていきます
今後もよろしくお願いします。
そんな感じ。