謎の多い君が代の歌
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いはを)となりて
苔のむすまで
もうひとつわたしが気になったのは、
古事記に登場する2人の神様、イザナギノミコトとイザナミノミコトのお話しでした。
日本の神々で最初に性別を持った神様はイザナギとイザナミ。
君が代の君とは、
この2人の神様のことを表しているそうで、イザナギのキ、イザナミのミで、君。
キは男
ミは女
イザナは誘う
誘いあうふたりの男と女という意味なのだそうで、
イザナギとイザナミには誘いあう男女の物語があるそうです。
2人は天つ御柱で出会い、
イザナキ「我、成り成りて、成り余るところあり」
イザナミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」
と声をかけあいます。
「成る」は「生成される」「作られる」という意味で、
体を作り成長しできあがったけれど、互いに足りないところ余っているところがあったという意味なのだそう。
そして、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みます。
その子がわたしたち日本人なのだそうです。
君→完璧に成長した男女が
代→時代を超えて
千代に八千代に→永遠に千年も万年も、生まれ変わってもなお
さざれ石の巌となりて→結束し協力し合い団結して
苔のむすまで→固い絆と信頼で結び付いていこう
そんな意味が、君が代にはあるのだそうです
いろいろな説があって、真実はわからないけれど、
君が代について調べれば調べるほど、日本の国歌は愛にあふれていて、日本は素晴らしい国なんだと思いました。
そして、わたしがイザナギとイザナミのお話しで感じたこと。
それは不完全であることが完全なのだということ。
このイザナギとイザナミの男女の話しだけではなくて、
それはすべての命に言えることのように感じました。
みんなひとりひとりが違っていて
でこぼこしているから
補い合うことができる
誰かができないことは誰かができることで
お互いに足りないところや余るところがあるからこそ
パズルのピースみたいに
ピタリとはまる
ひとりひとりがまったく違うように生まれてきているのは
みんなでひとつになれるように
宇宙はわたしたちをそのように作ったんだなと思う
ひとりでは生きていけないし
誰もひとりでは生きていない
だから不完全が完全
みんな違ってみんないい
そんなことを思ったのでした
それにしても、君が代は素晴らしくて美しい歌ですね
日本人に生まれてきたこと
今とても大切なことのように感じています
サーシャ♡