377「フィロミーナ(邦題 あなたを抱きしめる日まで)」 神なんてくそったれだ | ササポンのブログ

ササポンのブログ

映画、音楽、アニメにドラマ
そしてサントラなブログ
ひとを観ていないものを観ます




この映画は93分
いまどき、B級映画でも、
2時間越えが当たり前なのに、
この重いテーマのドラマで、
1時間33分。

その時間こそが、
この映画の特異な、見事な点。

人は、
怒りが頂点に達すると、
言葉少なになる。

あまりの不条理と、不合理に
出会うと
怒りのあまり
逆に言葉が出ない。

本当の悲しみに出会った人が
泣けないように

劇中でジュディ・デンチが演じるフィロミーナがいう。

「憎んでいるの? それは疲れるわね」

72歳のスティーヴン・フリアーズ監督は、
怒りを通り超えたのかもしれない

この映画は、
怒りにまかせて作れば、
何時間あっても足りない。

だからこそ
フリアーズ監督は、
言葉を選んだ。

映すものを選んだ。

だから
この映画に無駄はない。
スクリーンに映っているもの、
すべてに意味がある。

でも
観ていてこちらは
疲れない。

なぜなら、
画面から伝わる印象は
軽妙なのだ
ライトなのだ。

なぜだろう?



悲しみと懺悔を抱えた老婆、フィロミーナと
挫折したエリート男、スティーヴ・クーガン演じるマーティンの
ロードムービー。

どう考えても、明るくなるとは思えない。

しかし、
ふたりは、
お互いを軽い調子で、
からかう。

ジョークなどを言ったりする。

フィロミーナは、
親切にされるとすぐに「あなたのような人は1000万人に一人」という

それを聞いてマーティンがいう。
「これで7人目だ。1000万人にひとりが、何人いるんだ」


これから、
貸そうとするロマンス小説の、筋を全部しゃべってしまうフィロミーナ。
あきれるスティーヴ。

本当に、
残酷で悲惨な真実に向かうふたりなのに
まるで、
年老いた母親と、
息子の観光旅行のような描き方をする。




もしかしたら
フリアーズ監督はここで描かれていることを
特別なことだと思わせたくなかったのかもしれない。

特殊な人間が体験した
得意な出来事だと
思わせたくなかったのかもしれない

フィロミーナが少女時代に過ごしたのは
マグダレン洗濯所




18世紀に、プロテスタントの教会の施設として「堕落した女」を保護・収容する目的で創設された「マグダレン洗濯所」は、19世紀初頭にはカトリック教会によっても設立・運営されるようになった。

そこに収容されたのは「堕落した女」だけではなかった。そうなる可能性があると(一方的に)みなされた女子、身寄りのない女児などがこの施設に閉じ込められ、過酷な環境でホテルや軍隊の施設などから出るベッドシーツなどの洗濯物を処理する作業を、無報酬で強要された。奴隷労働である。


フィロミーナは、
十四歳の時、ここで子供を産んだ。

逆子で苦しむフィロミーナに、
シスターはいった。

「苦しみなさい。それだ堕落したあなたに与えられた罰です」

フィロミーナは
この罪の意識に苛まれ続ける。

だから
50年間も、
息子のことを隠し続けた。

スティーヴがいう。
「神なんて、くそったれだ」

物語が進むにつれて、
次々とくそったれな真実が明らかになる。

でも、
フリアーズ監督も、
脚色をしたスティーヴ役のスティーヴ・クーガンも
この真実を、
ここだけの特異なことで終わらせたくなかった、

どこにでもある
普遍のことなんだと

事実、
マグダレン洗濯所は、1996年まで
存在したのだ

くそったれな宗教も
なんの根拠もない倫理も

偏見に満ちた常識も

そして
差別も・・。

特別なものではない。

どこにでもある