337 「documentary of AKB48 show must go on」 Ⅱ | ササポンのブログ

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そしてサントラなブログ
ひとを観ていないものを観ます

 最初に
身も蓋もないことも
言ってしまうが
この映画
映画としての出来はよくない
まず
2時間は長い

それは
焦点が絞られていなく
ただAKBの一年なにがあったか・・と
いう領域をでていないからだ

ただ、いや
だからこそ
ファンにとっては
見どころだらけの映画になった

 

どうも
集団がひとつの目的に向かって
進んでいくと
あの組織に似てくる

「新撰組」

その集団が
肥大化すると、目的とか結束力が
緩む

それを縛るのが
鉄の掟

AKBでいえば
「恋愛禁止」

今回、
合コン写真がネットに流れて
辞めさせられたことについて
秋元氏は
「普通の女の子なら許されることだが
AKBでは、許されない」

これを
どうとるかはそれぞれだが
彼女たちが「アイドル」という
仕事をしているなら
それは
鉄の掟であろうし
それが嫌なら
最初から入らなければいいのだ

 
西武ドームのコンサートで
あっちゃんが
過呼吸で、
ステージに立てなくなったときに
「RIVER」という曲の
あっちゃんの代役に指名されたのが
松井珠理奈。

珠理奈は
即座に「はい」と答えて
振りの確認を始めた

一応、AKBに詳しいひと向けの文章なので
珠理奈がどういう子かという説明は割愛するが
この時の珠理奈は中学3年生
その子が
AKBの中でもかなり重要な曲の
センターを指名されても
ビビることなくこなそうとする

その姿のかっこよさは痺れる

横では
横山由衣が別の曲の振りの準備をしている
おそらく
将来のセンター候補は
この二人なんだとわかる
印象的なシーンだ


それにしても
この映画をみて
あらためておもうのは
たかみなの凄さだ
こういう人物がいることが中にいる組織が
いかに 強いかがわかる
自らの努力を怠らず
組織のことを誰よりも愛する
右翼的な組織愛は
危険で
近視的だが
組織の強化としては
有効であることは 歴史が何度も証明している
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ・・・
彼女を観ていると
そんな言葉が浮かぶ
組織が 正しい方向に向かっていれば
それは正義であるし 間違えばそれは悪でもある
しかし
20歳の彼女の利他的な姿は
何よりも美しいし
凛々しい・・少しの悲しみも含みながら

何でもいい
もしそれを楽しみたいなら
知りうるかぎり

許される限りの
情報を知り
そうしながら

誰もいってない情報を作り出す
それは妄想・・だとしても
楽しむ心をもつ

僕は
妄想を楽しめなくなったら
死んでしまう
生きていく価値にある人生だとは
思わない

AKBはリアルな姿をさらす・・
しかしそれはすべてではないのは
当たり前だ
大体
一緒に住んでいる人間だって
すべてなどわかりはしない

ましてや
メディアであり
アイドルである

すべてはリアルな妄想である
人は
それを楽しみ、時には
浸食される
それは
人生にも似ている

しかし
妄想もいつかは覚める
死という・・現実によって