246 「日本のいちばん長い日」 もうあと2000万の特攻を出せば日本は必ず勝てます」 | ササポンのブログ

ササポンのブログ

映画、音楽、アニメにドラマ
そしてサントラなブログ
ひとを観ていないものを観ます

ササポンのブログ


この映画、
観るひとの年齢、性別、性癖、立場、歴史・・・
とにかく
そのひとそれぞれの人生によって
まるっきり違うだろう。
もしかしたら
20代のひとは
ドタバタ喜劇に見えるかもしれない。

もしかしたら
広島の原爆被害を受けた人は
タイトル前までで
激怒して観るのをやめてしまうかもしれない。

政治家どもが
とっとと
ポツダム宣言を受諾していたら
広島や長崎に原爆が落ちることはなかった・・と。

男しか出てこない(唯一の女性、新珠三千代はセリフひとつだけである。)
男騒ぎの(本当に男たちが騒いでいる)映画・・とも観れる。

とにかく
傑作がいつもそうであるように
観る人によって
感想は感慨はまちまちであります。

僕は
前にも言いましたが
政治的な思考で映画を観たり評価はしません。

だから
この映画は
あくまでも喜八映画として
書きたいと思います。




ササポンのブログ


とにもかくにも
オールスターである。
それも
かなり渋いオールスターである。

敗北を認めたがらず
決起する
将校たちのなかに
喜八組といわれる常連が多く含まれる。

高橋悦史 中丸忠雄 中谷一郎 佐藤允 
中でも
狂気に取り憑かれたように国民神風隊を率いて
鈴木総理の私邸を焼き払い
その炎をバックに
雄たけびをあげる天本英世の姿は・・・悲しいほど滑稽である。

もちろん
その他にも喜八組はいる。

短い時間ながら
放送局のアナウンサー役の加山雄三

伊藤雄之助の敗戦が決まっていながら
若者を特攻に駆り立てる姿は、
おそらく
この男が一生の後悔の念に駆られるであろう
その姿。

同じように
最後の最後まで
あがき
兵隊を無駄死にさせた。
田崎潤。

最後まで
反乱兵隊から玉音放送の録音盤を
守り通した
小林桂樹


ササポンのブログ


とてもじゃないが
尋常じゃないほどの
豪華キャストで
作り上げたのが
日本が尋常ではないテンションだった一日の物語。

敗戦を受け入れ
それを
天皇によって全国民に知らせる。

ある意味、
それだけのことが
その当時の日本人にとって
どれだけ
屈辱的で
認めたくない現実だったか・・。

アメリカの爆撃によって
国が荒廃していった中東のひとが
「俺たちの気持ちを、なせ日本人にはわからない。
同じ目にあっているのに」と言っていた。

野田秀樹の「オイル」で
長崎の原爆で弟を失った
松たか子演じるヒロインが叫ぶ

「たった1日で何十万人の人間が殺された
その恨みは
簡単に消えるものなの!!

一か月しかたってないのよ、あれから
どうしてガムを噛めるの?
コーラを飲めるの?
ハンバーガーを食べられるの?


この恨みにも時効はあるの!?
人はいつか忘れてしまうの?

原爆を落とされた日のことを」

僕らは
幸せなことに
戦争のない
そして
右翼的な考えを
異端視するような日本で生きてきた。

だから
この映画における
青年将校たちの理屈も言い分も理想も
滑稽に見える。

もしかしたら
喜八監督にとっても、
滑稽に思えたのかもしれない。
それゆえの
黒沢年男らのハイテンション演技ではないだろうか。

元々
この企画、
小林正樹監督予定であったが
喜八監督が撮ることになった。
もう
あきらかに
ある種の押し付け的な部分があったに違いない。




ササポンのブログ


それでも
映画として一流に仕上げるのが
職人監督としての喜八魂である。

それは
一つ間違えば
軍人賛歌になりかねない。

特に
陸軍大臣を演じた三船敏郎

海軍大臣を演じた山村聡の存在感は
化け物級である。

このふたりが
丁々発止で繰り広げる演技は
ことの善悪
右や左の思想を超えた
陶酔感が漂ってしまう。

すでに
伝説的となった
強烈な切腹シーンをはじめ
三船の演技は
神がかっていて
どんなヒーローもかなわないほど
かっこいい。

しかし、
それでは
軍人賛歌である。

ササポンのブログ
ササポンのブログ


そんな右翼臭を中和させているのが
鈴木総理を演じる
笠智衆である。

声を荒げなくても
目をひんむかなくても
佇まい
しぐさ
そして
声色によって
有無を言わせぬ存在感は出せる。

ひつっこいようだが
こういう演技は
香川東大くんには出来ない。




ササポンのブログ


この映画を観れば
当時の日本映画の演技陣のクソ力が堪能できる。

あまりにも
隅々まで見事過ぎて
二の句が継げない。

さらに
この複雑な物語を
娯楽として2時間40分、観客を引っ張ったのは
構成の神様、橋本忍。

それらをすべてまとめ上げ
さらに
自分なりの思想をし忍ばせつつ
観客を堪能させた
喜八監督。

やはり
恐るべしとしか言いようがない。

ただ
この映画によって
喜八監督の中に溜まった不満が
「肉弾」を撮る強い動機になったことも記しておく。

最後に
この映画の反乱「宮城事件」の実際の当事者たちの
その後を記しておきます。



事件鎮圧の功労者である田中東部軍管区司令官は、8月24日の夜に拳銃で心臓を打ち抜き自殺した。
田中司令官は戦時中に宮中への空襲を許したことなどに責任を感じており、
24日に発生した陸軍通信学校教官窪田兼三少佐や予科士官学校生徒による
川口放送所占拠事件の解決を機にした行動であった。

近衛第一師団参謀の石原貞吉少佐(久保明)は、
8月15日に発生した水戸教導航空通信師団事件の一部である上野公園占拠事件に際し、
第十二方面軍参謀神野敏夫中佐から
これの説得役を依頼された。

これは水戸から上京した部隊の指揮官岡島哲少佐が、
石原少佐の陸軍士官学校本科教練班長時代の教え子だった縁による。
8月19日に東京美術学校に赴いた石原少佐は、
説得に納得しない林慶紀少尉によって拳銃で射殺された。

石原少佐の遺体は同夜近衛第一師団司令部
配属憲兵の境芳郎憲兵曹長により収容された。
戦後になり石原少佐は勲四等に叙せられ、靖国神社にも合祀されている。

一方、森師団長殺害のキーパーソンであり、
また兵力使用計画に関与した井田中佐(高橋悦史)は、
15日に陸軍省で自殺する決心を固めていたが、
これを予期した見張りの将校に止められ断念した。
戦後は電通に入社し、
総務部長及び関連会社電通映画社の常務を勤めた。
戦後の31年になり離婚して岩田に復姓している。

同じく兵力使用計画に関与した稲葉正夫は
防衛庁戦史編纂官を経て防衛研究所で研究員を勤めた。

事件に関係した将校たちは
明らかに当時の軍法及び刑法に違反する行為を行なったにもかかわらず、
敗戦時の混乱によって
その罪は法廷で問われることがなかった。

ウィキさんより




ササポンのブログ
ササポンのブログ