perfume論  Ⅲ  中田ヤスタカ氏 | ササポンのブログ

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加藤和彦氏の自殺の理由が
創作上の理由
つまり新しい曲が出来なくなった・・
からだそうだ。

氏が
大昔
売りだし中だった
ビートたけしを批判した。
「ああいう、コンプレックスをウリにして
表現しているひとは嫌いですね」

それに対して
ビートたけしは
「あのひとならそう思うでしようね。
最先端や、おしゃれをウリにして
生きているひとなんだから。」

その後に
ビートたけしは
創作者として現役ではない氏を批判して
なにも作っていないから
他人のことをごちゃごちゃ言って
メシを食ってる・・と

加藤和彦のことを
称賛する言葉のなかに
いつも最先端だった・・というのが多い。

しかし
最先端でなければ
なにものでもない・・ということになる。

最先端であり続けることなんかできないし
創作は
そんなことで継続はできない。

そんな創作の秘密を
誰も助言してやれず

自身も勉強する気もない。

ただ
残っているのは
自分は最先端だというプライドと
創作意欲のみ・・。

これはもう地獄でしかない。



前回の文章で
一流の意識がなければ
一流なものは作り出せない・・と書いた。

しかし
その一流の意識だけが
そのひとの限界をも
身の丈をも
超えてしまうと
(それは往々にして創作者にはありがちだが)
自己崩壊を起こしてしまう。

そこにさらに
ヒットとプライドというのが重なると
地獄である。

残念だが
加藤和彦氏の才能は
1,2曲のヒット曲と
あとはそこそこの曲を作り続ける
(それだけでも凄いことだが)
それだけのものであって
まわりが言うように
常に
最先端である続けることなんか
出来る人ではなかったのだ。

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さて、現在、一応
最先端と言われている
(ま、世間でそう言われた途端、最先端ではないのだが)
このひと
中田ヤスタカ氏。

言わずと知れた
perfumeのほとんどの曲を作り、
プロデュースするひとだ。

このひとを観ると
自動的にあのひとを思い浮かべる人が多いだろう。

Tkさん、コムロテツヤです。

ただ
ヤスタカ氏とコムロ先生の違いは
コムロ先生は、
かかわったひとたちが
全部
ヒットしましたが
ヤスタカ氏が
ヒットさせたのはperfumeだけです。

鈴木亜美も
meg
それほど売れず
いまでは別の人が曲を書いてるし

自分が係わっているcapsuleやコルテモニカに
至っては
売る気などまるでないがごとく
プロモーションすらしません。

このひとのインタビューなどを読んでいると
perfumeに関しても
アイドルだとか
売れ線だとか
そういうことはどうでもよく
それどころか
perfumeというグループ自体をも
どうでもよく
ただ
自分のやりたい音楽をやっているだけ・・。

そういう感じがします。

このひとが
自分の曲をすべてマスタリングまでやっているというのは
有名な話です。

もし金儲けが好きなら
そんなめんどくさいこと
ひとに任せます。

そんなことしてたら
大量生産はできません。

このひとの曲は
一般受けするような曲ではありません。

極めて
マニアックな一部のひとに受ける
ハウスです。

それは他の誰が歌っても、
そこそこしか売れないことでもわかります。

ところがperfumeが歌うと
売れてしまう。
それはもう
表現者としての
パフォーマーとして
perfumeがこのひとの曲を歌うのに
最も
適していた・・としかいいようがない。

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さて、
スキャンダルを粉砕して
向かうところ敵などない
perfumeが
恐らく
最初に受ける
最大の難関は
このヤスタカ氏だろう。

もし
このひとが
TKのように
曲が作れなくなったら・・。

それ以前に
perfume本人、
スタッフが
ヤスタカ氏に飽きたら・・

そこが
最初の難関となるだろう。

別に3人に恋人ができようが
3人が結婚してしまおうが
はたまた
3人のうちの一人が
マンモスらりっpになってしまおうが
ファンはそれほど離れない。

僕も
聞くのを止めようとは思わない。

しかし
perfumeが歌うのが
ヤスタカ氏の曲でなくなったら・・

恐らく
半分以上のファンが離れるだろう。

僕も
聞かないと思う。

perfumeのファンに
30代、40代、そして50代が意外に多いのは
このひとの作るテクノやハウスが
自分が楽しんできたクラヴミュージックとシンクロするからだ。

あるひとは
perfumeのことを
「正しいアンダーワールド」と言った。
ハゲたおっさんが踊るよりは
若い女の子たちが踊ったほうがいいに決まってる・・と。

最近では
ヤスタカ氏もなんとなくperfumeを
自分の音楽の最大の表現者であることを意識して
それなりに
自分のやりたい音楽と
表現者であるperfumeとの
融合点で
作品を作っている・・。

やっと・・である。
いままで
そんなことなんか考えもしなかったのである。



そのまずの最初の頂点が
「ワンルーム・ディスコ」だろう。

極限までの異形なハウスミュージックに
付随される
感傷的な歌詞。

この曲を聞いた
外国の人間が
まさか
引っ越しをした女の子の感傷的な歌を
歌っているとは思わないだろう。

このひとの音楽は
最先端ではない。

その意識の底には
恐ろしいほどの
暗さと孤独が潜んでいる。

それは
その歌詞のびっくりするほどの
暗さと感傷に現れている
それは書き出して分析すると
また
長くなるのでやめておくが、
酔っ払いが酒を飲みすぎて
天国から追い出されるだけの曲とは
明らかに一線を画す。

声を異様なほど加工しているのは同じだが
そこに描き出されるのは
明らかに違っている。

加藤和彦が
嫌った
コンプレックスを武器にした世界観が
ヤスタカ氏の曲には確実にあるのだ。

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ヤスタカ氏が
perfumeを使って
自分の音楽的な試みをしていることで
perfume本人たちには
喜びと戸惑いが生まれている。

自分たちを認めてくれているという喜びと
どんどんと個性が見えなくなる戸惑い。

曲によっては
ほとんど歌詞がない曲まである。
そこまでくると
別に
perfumeじゃなくてもいいじゃないか・・という戸惑い

ご存じのように
perfumeの曲は
声を異様なまでに加工されている。

あ~ちゃんは
最近まで
レコーディングで
歌うことが
楽しいとおもったことがなかった・・と
はっきり言っている。

そんな戸惑いや
それを克服する喜びの意識が
どういうふうになされているかは・・・
次の講釈で・・。


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