次の映画評に向けて
再アップします。
ちょっと長いけど
参考になれば・・と。
「ヴィンセント」は、バートンの幼年期のアイドル、ヴィンセントプライスをナレーションに迎えた作品。
7歳のヴィンセント・マロイが、ヴィンセントプライスになることを夢想する・・という物語
ティムバートン(以下ティム)「僕らは、ヴィンセントプライスにストーリーボードを送って
ナレーションをやってくれないかと頼んだ。彼は本当に素晴らしかったよ」
ヴィンセントプライスは、この映画を、作者以上に理解して、この映画を支えた。
なによりも、強烈なファンだったティムバートンを「あっちに行ってろてんだ。俺から離れろ」なんて言わずに、優しく迎えてくれたのがうれしいと語っている。
そのあと
1993年に彼が亡くなるまでに友情は続いた。
ティム「彼(ヴィンセントプライス)は、この作品の心理学を理解してくれて、おかげで僕はびっくりして、気分がよくなり、僕をありのままに観てくれて、ありのままに僕を受け入れてくれる人がいるって感じた」
ティム「僕は本来、「ヴィンセント」を子供向けの本として書いたんだ。」
ティム「ヴィンセントプライスやアランポオや化け物映画が僕の心に訴えかけてきた。
そこには苦闘や苦痛を経験する人々、僕が一体感を持てるものを、観ることができる」
ティム「この映画の主人公は、ヴィンセントプライスに同一化し、自分がプライスだと信じている。そして観客は彼の眼を通して世界を観るんだ。映画はいわば、現実をすばやく出入りしているようなもので『大鴉』からの引用で終わる」
ティム「この映画には『肉の蝋人形』的な、生き埋葬とか実験なんかも出てくる。」
ティム「確かに主人公は、僕の抱いていた感情を基にしているよ。でも何であれ『バットマン』みたいな商業的だと思われている作品であれ、僕としては、ある程度そのなかに入り込まざるえない。
たとえ、感情だけであってもね」
ティム「僕は、この作品をあまりに知的に分析することに用心深くなっている。分析することがより
無意識なものの邪魔になるってわかったんだ。」
ティム「出来れば無意識的でありたいと僕は思っている」
この映画は、ティムバートンが尊敬するドクタースースのスタイルを真似て書いた詩を基にしている。
ティム「僕はドクタースースを愛好しながら育った。彼の作品のリズムがすごくはっきりと
僕の心に訴えかけてきたんだ。ドクタースースの本は完璧だった。
適切な言葉の数、適切なリズム、素晴らしく破壊的な物語があった。
彼はたぶんたくさんの名もない子供たちを救ったんだ」
ドクタースース
本名Theodor Seuss Geisel/シオドア・スース・ガイゼル(1904-1991)
マサチューセッツ州スプリングフィールド生まれ。
1925年にダートマス・カレッジ卒業後、オックスフォード大学にて文学の博士号取得。その後はアメリカの雑誌『Judge』に漫画やユーモラスな記事を掲載していたそう。
1936年ヨーロッパ旅行の途中の舟のエンジンのリズムを聞いて、一作目の絵本『 And to Think That I Saw It on Mulberry Street』を思いついた。翌年に出版され、それから大きな成功をおさめたのは周知のとおりである。
第二次大戦中に軍隊に入ったガイゼルはハリウッドに送られ、そこでドキュメンタリー作品『Hitler Lives』『Design for Death』を製作。 アニメーションの製作も行い、『Gerald McBoing-Boing』はオスカーに輝いている。
1954年に雑誌『life』に、学校での読み書きについて問題があるのは、彼らが読んでいる本がつまらないからだと主張。また今日のリーダーズの走りとして、重要単語220語に絞って作られた『The Cat in the Hat』が出版された。
1991年9月24日永眠。
ティム「やっぱり僕らがスクリーン上の誰かに感応するのは理由があるんだ。
そこにはある種の光があって、彼らは自分たちの演じているキャラクターさえも超えた何かをいきいきと
伝えてくれるんだ」