乙女っちゅーのは記念日が大好きだ。

「付き合って1周年記念日にはサバティーニに行ってロマネ・コンティで乾杯がしたいの♪」

「彼と初めてお泊りした時の下着はマダムロシャスのソープと一緒にタンスの奥にしまってあるの♪」

「初めてレーザー脱毛した時のおケケは大切に熨斗袋に包んで保管してあるの♪」

・・・私も乙女の端くれのそのまた底辺にいるわけで、記念日くらいはあるのである。
それが今日だ。12月26日。時間は現地時間でAM9:30頃。

昨年2004年の12月26日。世界で何が起こったか御存知だろうか。
そう、スマトラ島沖地震による津波だ。

ブッシュから丸大ハムのお歳暮が届く位グローバルなビジネスパーソンの私は、
こんな災害にもちゃっかり巻き込まれちゃっていたのである。

→ノー笑いの被災記事を読んで改めて108の煩悩を追い出したい貴方はクリック
http://blogs.yahoo.co.jp/sasami921/3855440.html

さてさて。そんなこんなでそのドキュメンタリーの本を出版することになった。
夏からずっと執筆を続けようやく今月入稿することができた。うむ、「お、遅っ」である。
ブログのペース同様、こちらの原稿の進み具合も亀に汗一つかかず追い越される程のバラードテンポであった。

しかしショーミのはなし、結構これってばシリアスなタッチで書いているわけだ。
そして御存知の通り、このブログはアホの坂田もひっくり返るほど低脳電脳ついでに悩殺タッチなわけだ。

ヒトっちゅーもんはそうそう気分のスイッチを上手く切り替えられるわけではない。

M嬢の豪邸でふかふかソファーに座りブランデーグラスを傾けながらモンブランの万年筆を手に取る。

「そのとき、南国の楽園が地獄に変った。人々の悲鳴、不気味な地鳴り。
私は自分が絶対的に叶わない力というものがこの世に存在することをはじめて知った」

・・・疲れてきちゃった。

執事のセバスチャンに指をパチンとならすM嬢。

するとセバチン(←長いのでこう略称で呼んでいる)は
金粉とスワロフスキービーズでデコレーションされたM嬢パソコンをすぐさま差し出す。

私は毎日サロンでお手入れしている白魚の指をしならせながらブログを書く為にキーボードを叩く。

「でもって、合コンでマヌケ面した男が来たわけさ。そのヌケ作はツラだけではなくマジヅラで、
興奮してアタイを口説いているうちに頭皮が変にキュートな桃色に変色してきちゃってさ」

・・・飽きてきちゃった。

幼少の頃から私に寄り添っているセバン(←さらに略称)は私が指を鳴らす前にモンブランを差し出す。

「そして人々の悲鳴をかいくぐりながら、私はヅラ男の名刺で勝手に領収書切ってお会計しちゃってさ」

・・・ん?




ちっがーーーーう!!

シャウトして頭を掻き毟って芸術を爆発させている私の肩をそっと優しく押さえるセバ(←もう誰やねんコイツ)。


そうなのだ。繰り返しになるがヒトはそれほど自律的に気分を器用に切り替えられるものではない。

例えば、私と他人、仕事とプライベート、食事と運動、酒と酒、・・・
悲しいかな、誰か・何かとの比較において自分の幸不幸や喜怒哀楽を認識してしまう生き物なのである。

失恋で泥酔して歌舞伎町の電柱という電柱に酸っぱいゲロを吐いた女が朝日を見て突如
「よし!今日から前向きに頑張っちゃうもんね」なんていうのは絵空事だ。

朝日を見るよりも、自分以上に電柱にゲロ吐いた失恋女がいたりすることが女を慰めることもあるのだ。
そんな時にこう思うはずだ。「私はまだマシだ。」と。

絶対的に自分の感情を支配できるヒトは強いかもしれないが、どこか(いびつ)に感じる。
私はヒトの弱さを愛しいと思うし、弱さゆえ生まれる葛藤や矛盾の深淵に何かを見出そうとしてしまう。


編集者は言う。
「M嬢さん、ちょっとホテルで缶詰にでもなってぎゅーっと集中して原稿上げてくださいよ」と。

しかし私は違うと反論する。
くだらない飲み会などの日常の瑣末な出来事を並行して書いているからこそ、
今生きているありがたみやあの時の恐怖がよりリアルになりより鮮明に表現することができるのだ、と。


そんな身勝手な理屈で編集者を3人ほど発狂に追い込みながら仕上がった原稿だが、
これから表紙のデザインやら書店の選択やら
私のもっとも苦手な「超メンドーって感じい?」な作業が待ち受けている。ふぁ~ネブたい。

晴れて世間に出る時期を確約できないのが情けないが、
その暁にはこんな裏事情を知っている人はぜひ御購入及び御購読いただきたい。

なお、注文は最小がカートン単位、最大ではコンテナ単位での殿様販売を計画しているので、
諭吉君を10人以上は用意しておくことをお勧めする。


------------------
■スマトラ島沖地震の概要

-2004年12月26日現地時間、午前8時58分(日本時間午前9時58分)に北緯6.1度・東経95.5度、
インドネシア・スマトラ島西沖の海底を震源地とする。
死者行方不明者は50万人とされ、被災者は500万人とも言われている-


以上が今回の災害の原因とその結果であり、私はその1/500万人に過ぎない。
しかし私をはじめ、この3行ほどの事実の裏には様々な出来事があったことだろう。

愛する者を守ろうと自ら犠牲になった人もいただろうし、
朝のシャワーを浴びている時になす術もなく津波に流された人もいるだろう。

もしかしたら自ら自分の命を絶とうしていていて「ちょうどいいや」なんて思った人もいたかもしれない。
それでも実際あの濁流に流されると恐ろしくてやはり生きたいとあがいたのかもしれない。

人だけでない。飼い主をからはぐれた犬、いつの間にか陸地に放り出された魚、小さな手足でもがいたヤドカリ。
・・・全ての生きとし生けるものにドラマがあり、それを一瞬で圧倒的な力が飲み込んでいったのだ。

起こった事象のみを活字にすると表現は一つになってしまう。
が、その裏にあった500万通りの思いや人生。これこそが真実であるし、その真実の一つを私は記したい。


亡くなった方々の御冥福を心より祈ると共に、
この記事を読まれた方が、数字の裏にある500万通りの人生に少しでも思いを馳せて頂けると幸いである。
------------------