おはようございます!


今日は長野からの更新です。

父の治療も兼ね、昨日から家族旅行で長野・佐久平に来ています。

朝はもうなかなか寒いです。そして紅葉がきれいです!


さて、今日は!前回の悩みの原因の続き、のようなことを。


前回、悩みの原因は「他人との比較」が大半だという話をしました。

それ以外はじゃあ何があるのか?


例えば、他の人の行動。


なんであんなことするんだろう?

なんでこんなこと言ってくるんだろう?


他にも、


なんで自分の言うこと聞いてくれないんだろう?

なんであんな勝手なんだろう?


とか?


どこにいても人間関係っていうのは、

ほとんどの人にとって最重要課題?なんじゃないかと思います。

気のあわない人がいたら、それだけでつらいし、1日がきつい!


でも、その原因は何だろう?


と考えたら。


いやいや、その人の考え方がおかしい!

あんなことするのはあの人が悪い!意味がわからない!


なんて、その対象の人に原因があるようにどうしても考えたり。


でも、それも、結局は自分に原因があって。


そんなわけない!って思っちゃうんですが、

もちろん「自分のせい」ではなくて、自分の「考え方」が原因だったり、

自分の「なかにある自分への思い」が原因だったりするのかなって思います。


例えば、


「あの人は、なんであんなことするかわからない」


という場合、自分の考え方のクセで、意識はしていなくても、きっと

「自分は正しい」

というクセがあって。

これは私も、先日セミナーで指摘され、自分自身すごい納得しました。

「正しい」「正しくない」という「考え方のクセ」

自分が言ってることは「正しい」、

あんなこと言うあの人は「正しくない」だから腹が立つ。

例えば、よかれと思って人に何か言う。「自分はこうした方がいいと思う」

でもその人はやらない。「なんでやらないかわからない!」

でもそれはその人の考え方で。自分が正しい、なんてことはなくて。


だから、「正しい」「正しくない」っていう基準ではなく

「自分がやりたいこと」「その人がやりたいこと」

っていう目線で考えてみると、受け入れられるのかなって。


例えば、


「なんであんなこと言われなきゃなんないんだろう」


という場合、言われた内容を気にする自分、がいて。

それが気になる、ということは、自分の中で消化不良な部分があったり、

自分自身が目をそらしている部分があるってことなのかなって。


気にしてないこと言われても、笑って受け流せるけど、

うわ!それめっちゃ気にしてるのに!

っていうこと言われたら、やっぱ腹がたってしまう笑

でも、それは、その言った人に本当の原因があるんじゃなくて、


自分-自分の悩み


だけの関係のはずのところが、


自分-(自分の悩み)-言ってきたその人


っていう風に、自分の悩みを消してしまって、その人に対して腹を立ててしまう、

こともあるのかなって。


もし、自分が自分の悩みなり、気にしていることを「すでに受け入れて」、

「そうは言ってもこうだ」っていうように、自分なりに消化していたら、

きっとそんなに言われても腹が立たないんじゃないかなあ。


だからもし、腹が立つことや、思うようにいかないことがあったとき、

「なんで自分はこう思うんだろう?」

って考えたら、今まで気づかなかった、自分のことを気づけるかもしれません。

そう思った自分を責めるんじゃなくて、自分を見つめる。


結局は、「自分を知ること」


それが穏やかで楽しくいれる秘訣なのかなって思います。


自分を知って受け入れることで、他人も受け入れられる。


金子みすずさんの詩「私と小鳥と鈴と」


わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが


飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない


わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど


あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ


鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい


このことを考えたときに、ずいぶん昔によんだこの詩が

ふっと頭をよぎりました。


みんな違って みんないい


そうやって自分も他人も認めて、お互いがつながれるっていうのは、

きっと素晴らしい!!


そう思いました。


いつも読んでくれてありがとうございます!


今日も素晴らしい1日を!