空と海と空海と空堀と | 空堀ホイホイ

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ベロベロバー

まいどー。

明日は毎度おなじみの座談会です。

毎回古代史に特化したお話ですが、今回は平安時代初期辺り。

空海さんを掘ります。

いわば日本の古代史の最終章とも言えるかもです。

混迷を極める奈良時代。

長岡京から平安京に遷都と、慌ただしく時代が動く中、二人の僧侶が活躍しました。

空海と最澄です。

いまも空海は高野山、最澄は延暦寺を残されています。

言わずもがなの大宗教家です。

何故この時期にこの偉大な宗教家が活躍されたのかを時代背景とともに掘り下げると、当時の桓武、平城、嵯峨の三人の天皇との関わり、更に当時のアジア情勢も絡めると鎮護国家としての宗教の役割が少し見えてくるような感じです。

空海、最澄はともに遣唐使として入唐されてます。

また、朝鮮半島との関わりと共に、当時は渤海との交易も盛んでした。

唐の使者が渤海経由で来日するケースも頻繁にあり、空海との交流も盛んにあったようです。

空海は国際感覚に長け、人脈、人望もずば抜けてあったようです。

朝廷は空海を政治コンサルト的に活用し、また空海も鎮護国家として積極的に帝に対してアドバイスし、双方信頼関係が厚かったようです。

その成果がまさに「平安」な平安時代の礎を築いたのかもしれません。

そんな空海の生い立ちに迫り、真言密教の真髄に少しでも迫れたらいいなと思っています。

ずばり、真言密教とは、ブルーハーツの1STアルバムのようなメッセージなのかもしれないと思っています。


ドブネズミとは大日如来であるのかもしれません。笑