太郎と私 | 何もない明日

何もない明日

朗読人の独り言



彼はとても『ものぐさ』だったので
私はいつも彼のことを、『ものぐさ太郎』と呼んでいた。
彼の方も、自分でそれをすっかり自覚していたらしく、
私が「ものぐさー。」と呼ぶと
「太郎です。」と返事する程だった。


靴下を裏返しのまま洗濯しちゃったり、
また買いに出るのが面倒くさいからと
本を何十冊も買いだめしちゃうような彼だったが、
本当の名前は
佐々木健太郎といった。



私が彼の家に出入りするようになったのは
一体いつ頃の事だったろう。
あの頃はそうする事がまるで習慣のように
あたりまえに行動していたのだけど、
それがいつ頃からだったのか
今となってはすっかり忘れてしまった。
真夜中彼の家を訪れては
よく明るくなるまでくだらないバカ話に花を咲かせたり、
聴きなれたCDを聴くともなしにかけまくったりしたものだが、
あの頃は二人ともそれぞれ別の世界を持っていて、
色々と周りのごたごたが面倒くさかったので(何しろ『ものぐさ』だから)
お互いあまり深入りしないようにしていた。
私達は、
ただ少しだけ二人の時間を保てればそれで良かった。
まるでそうすることが、
自分にとって必要不可欠な事柄のように。



彼はカンボジア旅行をすることが夢で、
オムライスが好きだった。
「オレの夢はカンボジアで遺跡を発掘して、
そこに『オムライス・ケン』と名付けることだ。」
と言っていた。


「オレにゃー関係ないもんね。」
と言いつつよく他人の心配をしていた。
どんな些細なことでも
とても楽しそうに声をあげて笑った。
私が彼のことで一番に思い出すのは
何よりその笑顔と笑い声だ。
私は太郎の笑い方が
とても、とても好きだった。



私は彼を愛していたのだろうか。
今となっては、それさえもよく思い出せない。
ただ彼のつんと伸びた背筋や
つまらないジョークの数々を思い出すと
思い出すだけで
「今日もがんばっちゃおうかな。」
という気になってくる。
もし今彼が
誰かの隣で眠っていたとしても
誰かの隣で笑っていたとしても
そんなことたいした問題ではないのだ。
そんなことどうだっていいくらい
もう一度会いたい、話したい。



「今朝
 隣の家で可愛がっていた犬のホームズくんが死にました。
 子供の泣き声と親の怒鳴り声がして
 それで僕は目覚めたのですが、
 目覚まし時計が鳴るはずの時間より
 まだ一時間四十五分ほど早かったので、
 もう一眠りしようかなあと思いつつ
 とりあえずコーヒーを飲みました。
 

 今日は雨が降っているし隣のホームズ君も死んじゃったけど
 僕は会社に行かなければならない。
 世界は廻っているのだなあ。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、
 隣の家のお母さんの不自然に優しい声が聞こえてきました。
 『また買ってあげるから』
 『今度はどんな色のがいい?』
 僕は何だか恐ろしくなって
 会社に行きたくなくなっちゃったけど
 思いなおして、今日のネクタイの色を選びながら
 犬はネクタイじゃないのだ。
 思わず一人呟いていました。
 それでも隣の家の子供がいつまでも泣き止まなかったことが
 せめてもの、ささやかな、救いです。

 
 ところで僕は今東京に住んでいます。
 住所を書いておくので
 近いうちに会いに来てくれるとうれしいな。
 できればすっかり荷物をまとめて来ちゃった方が
 賢明かもしれない。 
 だってまた取りに戻るのめんどくさいでしょ?
 来年あたりにはカンボジア旅行を計画しているのですが、
 君が行かないのなら、僕も行かない。
 ところで君は、
 オムライスを作れるようになりましたか。


 〒165-0032 東京都杉並区天沼二丁目○-△-102
       佐々木健太郎               」



こんな手紙が、何の前触れもなく私の元に届いたのは
ある雨降りの日の午後のことだった。
彼がこの土地を離れてから、約三年が経とうとしている。



私は鏡の前に立って考える。
行くべきか、行かざるべきか。
自分は、まだ彼にふさわしい女性になっていないかもしれない。
こんな私を見て、彼はがっかりするかもしれない。
だって私は未だに、
オムライスが作れないのだ。