「この人生、本当に後悔しないだろうか?」

 

もし明日、死ぬとしたら。


私はこの人生を「やりきった」と言えるだろうか。

 

そんな問いが、ある日突然、胸の奥に落ちてきた。

焦りというより、
「もっと生きたい」
「このまま終わるのは、なんか違う」
そんな意欲に近い感覚だったと思う。

 

きっかけは、ひすいこたろうさんの
『あした死ぬかもよ?』という一冊だった。

 

 

 

当時は、まさにコロナ禍

それは、まさにコロナ禍の最中。


突然、休校が決まり、
これまで当たり前のように続いていた「明日」が、
ある日を境に、あっさり形を変えた。

 

教師として、
自分の時間も、体力も、感情も、
すべてを仕事に注いできた日々。

 

それが一気に止まり、
皮肉なことに私は、
生まれて初めてと言っていいほど
「自分のための時間」を手に入れた。

 

 

 

本を読む時間ができた

 

その時間で、私は本を読んだ。
YouTubeも、これでもかというほど見た。
やりたいと思ったことに、小さく挑戦した。
できない理由より、できる方法を探すようになった。

 

不安がなかったわけじゃない。
毎日、テレビから流れてくる感染者数。
恐れを煽るような報道。

 

でも、
離島の、さらに離島という場所で過ごす日々は、
思っていたよりも静かで、自由で、
そして、豊かだった。

 

気がつけば私は、
テレビをつけなくなっていた。
不安を増幅させる情報から、自然と距離を置いていた。

 

この時間が、
私の人生の大きな転機だったのだと思う。

そして、静かな時間の中で、
どうしても無視できない「本音」に出会ってしまった。

それは――
「このままの生き方に、私は本当に納得しているのか?」
という問い。

 

 

 

その頃、少しずつ気づき始めていた本音がある

 

公務員という安定。
教師というやりがいのある仕事。

 

その価値を否定したいわけじゃない。


むしろ、誇りを持ってやってきた。

 

でも同時に、
「安定」と引き換えに、
「不自由」を受け取っていたことにも、
はっきりと気づいてしまった。

 

変わらない仕組み。
変えにくい現場。


良かれと思って続けてきたことが、
誰かの可能性を狭めているかもしれない、という違和感。

 

その感覚を、
私はもう見なかったことにはできなかった。

 

 

外の世界を見てみたい

 

だから私は、学び始めた。
外の世界を知ろうとした。


教師という肩書きを一度横に置いて、
「一人の人間として、どう生きたいのか」を考え始めた。

 

そして、はっきりと思った。

大人が満たされていなければ、
子どもたちは未来に希望を持てない。

 

不登校の子どもたちと過ごす時間の中で、
私は何度もそれを感じてきた。

 

キラキラした大人に出会った子どもは、
「大人になるのも悪くない」と思える。
その瞬間を、私は何度も目撃してきた。

 

 

 

もし、あした死ぬとしたら

 

もし明日、死ぬとしたら。


私はやっぱり、
「やりたいことをやり尽くした人生」を生きたい。

 

この問いから始まった私の変化は、
まだ途中だ。

でも確実に、
「自分の人生を、自分の手に取り戻す旅」
は、ここから始まった。