2012年11月1日 手術

朝早くから、母に、旦那さん、息子二人も学校を休んで来てくれた。

手術室までは車椅子で、みんな沈黙のままついて来てくれ、手術室に入る前、みんなと手を握った!普段なら絶対しないだろうけど、この時は息子たちも素直に・・・(iДi)バイバイ~をして、いざ手術台へ!


手術台に上がり、背中にカテーテルを入れ(なかなか入らなかった)点滴に酸素マスク、心電図をあて、点滴に麻酔の薬が入ったと同時に意識がなくなり、3時間くらいで終了!気がついたらICUのベッドで、話声で目を開けたら旦那さんに息子たちがベットの脇に立ってた。モウロウとしていたので何を話したのか覚えてません!また寝て意識がはっきり戻った時に初めて自分の姿を確認できました。

私のベット、部屋の一番奥に一部屋だけある隔離室!すべてが扉で隔離されていて、前日に見た何台かベッドが並んでいて、ベットの周りに絶えず看護士さんたちの姿が見えるICUではなかったのです(ノ゚ο゚)ノ

口には酸素マスク、両手は点滴やらたくさんの機械に囲まれ、両足は静脈血栓を予防するために機械を固定され、右胸脇あたりにも管が入っているし、尿の管も入っているし、どうにもこうにも完全防備され1ミリも動けない状態でした

酸素マスクが痒くて、痒くて、手が使えないので、口でもごもご動かしていたけど、どうにもダメで鼻からの管に変えてもらいました。でも、一か所痒いと思うと体中が痒くなってしまい、右側半分の痛さとあちこちの痒さで辛かった!

そして、定期的に来る看護士さんたちが行う、尿の管の”じょろじょろ~じょろじょろ~”と落とす音と、体液の管の”じょろじょろ~じょろじょろ~”とタンクに落とす音、そして、心電図やらの機械の音、目の前に見える大きな時計の”カチ、カチ”という音しか聞こえませんでした(・Θ・;)

そんな状態で、痛さと痒さで一睡もできず、ただ時計とにらめっこしながら、時間が過ぎるのを待っていました!普段ならあっという間に1日が終わってしまい、もっと時間欲しい~と思うのに、この時だけは、時計が壊れているんじゃないかと思うほど針の動きがゆっくりに感じて、地獄を知らないけど、私にしたら地獄でした(x_x;)

私の好きな桑田さんでも聴いていれば少しは違ったのに~二度と経験したくな~い(ノ_-。)

結局、翌日のお昼過ぎまでこの状態が続き、部屋に戻るためには”歩けないと帰れないよ~”と言われ、足の装置・尿の管を外してもらい痛い体を我慢してフラフラしながらでも、意地でも歩いてやる~と思いながら、ちょこちょこっとしか足が前に出なかったけど必死に歩いた!

それを確認してから、帰り仕度を看護士さん二人にしてもらった。1人は男性の看護士さん。嫌だったら代えるよ~と言ってくれたけど、1分でも早くここから出たかったので、そんな事はどうでもよかった。とは言え、着替えをするために丸裸にされ体を拭いてもらい下着まで取り換えてもらい、看護士さんは仕事だからなんでもないだろうけど、私は恥ずかしくてたまらなかった(´□`。)

仕度を終えて、28時間ぶりに病室に戻った。


手術を終えた直後、家族が先生から話を聞き、手術中にとり出した腫瘍の一部を迅速検査にかけたところ、がん細胞が出なかったのでもしかしたら1割の良性かも知れない、確実なことは、最終的な病理検査を待たないとわからないと言われたそうです。


私も後からそれを聞いて、もしかして、救われたかあ~ヽ(゚◇゚ )ノと思い、気持ちが少し楽になってました。


傷跡・・・・・腹腔鏡の穴直径2センチ・右胸脇から背中にかけて10センチの開胸