清河寺(せいがんじ)

山号…大龍山
宗派… 臨済宗円覚寺派

足立坂東観音霊場30番

住所…さいたま市西区清河寺792



「境内石碑による清河寺の縁起」

清河寺山門鐘楼再建之碑
惟れば当寺は正平十五年(一三六〇)開創され大龍山清河寺と称する。
開基 関東管領足利基氏公 尊氏公四男 法名清河寺殿玉山品[日升]公大居士 貞治六丁未年四月二十六日歿
開山 圓覚寺第三十八世勅謚佛慧禅師 傑翁是英大和尚 永和四戊午年三月十二日遷化 歸源開山
祈願所 應永二十九年関東公方足利持氏公により足利家祈願所となる。基氏公曾孫
爾来再度の火難に遭遇したが六百二十年の法燈を掲げ世代も三十二世を数えるに至った。
今次太平洋戦争の激化に伴い昭和十八年遂に梵鐘は軍に徴用されて音声を断った。(境内石碑より)





こちらには鎌倉円覚寺末寺と伝えられていて、足利 持氏・岩槻城主 太田 資正らの寄進状の8通の古文書(県の文化財)が残されているそうです


★足利 持氏(あしかが もちうじ)
室町時代の武将
第4代鎌倉公方

★太田 資正(おおた すけまさ)
名門太田家の末裔
戦国時代~安土桃山時代の武将

扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)仕えた

武蔵国岩付城主(現在の埼玉県さいたま市岩槻区)
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のちに常陸国片野城主






お地蔵様皆可愛いぃぃぃぃぃ(,,>᎑<,,)