大聖寺さんに文化財見せて頂きに参拝しに行きましたぁー♥️❤️❤️❤️

快く見せて頂き、撮影とSNS発信OKを頂き、丁寧に説明もして頂きました(*^^*)お願いお願いお願いお願いお願い

本当に感謝です~ありがとうございましたm(_ _)m(*^^*)




★大聖寺(だいしょうじ)

創建…天平勝宝2年(750年)と伝えられる

宗派 …真言宗豊山派
山号… 真大山
寺号… 大聖寺
本尊 …不動明王像(東大寺初代別当の良弁僧正彫刻による不動明王像)
通称…大相模不動尊

住所 …越谷市相模町6-442

★越谷で最古の寺院と伝えられている

★山門…鎌倉風建築・山門中央の額字「真大山」は松平定信の書だと伝えられている

★市指定文化財
「山門」
「北条氏繁掟書」
「徳川家康の夜具」
「タブノキ」










★「北条氏繁掟書」をめちゃ簡単に説明

岩槻城主が太田氏から北条氏にかわった頃、「北条家に逆らわずに素直に言うことを聞くように~」というような事を北条氏繁さんによって書かれたものデス❤️




★北条 氏繁(ほうじょう うじしげ)北条 康成(ほうじょう やすしげ))
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北条綱成(つなしげ)の嫡男で後北条氏の家臣
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*玉縄城主
*岩槻城城代、鎌倉代官なども務めた


★北条綱成(つなしげ)

*北条氏綱(北条早雲の息子・後北条氏第2代当主)にとても気に入られ、娘を娶わせて北条一門に迎え、北条姓を与えられる

*北条家の主力部隊五色備えのうち、黄備え隊を率いた。
綱成与力衆は組織上、玉縄衆とも呼ばれた

*北条家の全盛期の戦で活躍した猛将

*綱成は73歳で亡くなる(天正15(1587)年)
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3年後、北条家は豊臣秀吉によって滅亡する


書状入れ❤️



北条氏繁内室が使用していた珊瑚の念珠


家康さんの本物の刀
こちらで勝利祈願された時の物(あってると思いますが、間違ってたらすいません🙏間違ってたらまた調べて書き直しますね👍)


「徳川家康の夜具」のレプリカ
こちらはご開帳の日があるのでその時は本物が見えます❤️





ご本堂
こちらのご本尊様は良弁さん作の不動明王です
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★大聖寺のご本尊・不動明王様の言い伝えを簡単に説明


良弁さん、奈良東大寺の大仏造営の勧化のため、行脚の途中~今の神奈川・相模の国の大山に来る
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大山で修行中に不動明王のお姿が良弁さんの前に現れる
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良弁さん自らそのお姿を槻(ツキ)の木(けやき)で2体刻む
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一体を大山に安置、もう一体を待者に背負わせまた行脚を続ける
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そして大聖寺のある大相模の地に到着して休憩
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休憩後出発しようとすると不動明王が急に重くなって動かなくなる
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なのでここに不動明王様が居たいのかなぁ?と思ったので不動明王像を祀るお堂を建てて安置しました


★もう一つの言い伝え
平安時代この地に翁(おきな)がいて清流に沐浴し熱心に不動明王を崇拝していた。そして相州大山にお参りに行くとこ年に十数回にも及んだ。
ある日のこと、山伏が突然ここに現れ「持ってきたこの像は、相州大山で良弁が刻んだものだ」と言いました。そこで翁はここにお堂を建ててこの不動明王を安置したといいます。


ご本堂の中も撮影OKでしたので写させて頂きましたお願いお願いお願いお願い



山門~松平定信の書



内側からの写真








つづく