サルタヒコの山登り時々街道歩きの記録

サルタヒコの山登り時々街道歩きの記録

奈良県宇陀市在住。
令和4年4月より登山ガイド開業します!
(公社)日本山岳ガイド協会認定登山ガイド
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https://www.sarutahikomu.com

いずれは街道歩きガイドもはじめたいと考えています。
よろしくお願いします。

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 日中暑い日が続いています。涼しく登山をってことで、一度は経験しておきたかった「伊吹山ナイト登山」に行ってきました。

自宅を前日の23時前に出発!

 

2022年7月26日 

行程:伊吹山登山道入口 ~ 三合目 ~ 伊吹山山頂 (帰路往復)

 

1時20分にスタート!山頂までコースタイム4時間程度なので急がねば。ご来光見たいし。

登山道に入ると、すぐに真っ暗闇に。ヘッドライトだけが頼りです。

 

あまり、霊感とか幽霊なんて気にしない私ですが、流石に暗闇の中一人で歩いていると不安になってきます。丑三つ時やし。

少し離れたところに二つの光が動いています。出た!とライトを向けると、シカさんでした。

 

その後も、シカさんの光る目は登山道沿いに次々と現れます。近づいてもなかなか気が付かないようです。

暗闇だと判別しないんでしょうね。

結局、山頂まで絶えずシカさんを横目で見ながら登ることに。百匹以上に会いました。

 

ご来光に間に合うように急いだおかげで、3時50分に山頂到着!まだ、真っ暗です。

一等三角点に腰かけて空の変化を見守ることに。

 

4時15分頃から空の色が変わってきました。

黒から青へ、そして薄赤色へ。幻想的やねー。

 

関ヶ原方面の町の灯り。結局、低い雲に覆われ、ご来光は見れませんでした。残念・・・。

 

伊吹山山頂のお花畑を見ることに。って全然花が咲いてないよ!

十年前頃は一面いろんな高山植物が咲いていたのに・・・。

そう、シカの食害でここ数年でお花畑は壊滅的な状況なんです。

登ってくる時あれだけ、シカさんに会いましたもんね。

 

こちらは、鹿よけネットで囲まれているお花畑。ネットの合間から撮影。

シモツケソウやメタカラコウが咲き乱れています。以前は山頂全体がこんなお花畑だったのですが。

 

東国平定したヤマトタケルノミコトでしたが、伊吹山の荒ぶる神様にヒョウを降らされ、這う這うの体で山を下りました。

 

こちらが、伊吹山の神様。白い猪の姿です。

シカの食害なんとかしてください。お願いします。

 

下山中、石灰岩のカルスト台地に未だシカさんが憩っています。

 

三合目まで下ってきました。伊吹山の山容立派やね!百名山やし。

 

このあたりはユウスゲの群落地。鹿よけネットで囲まれています。

早朝なので、花は開いていません。

眠気をこらえて帰路につきました。

 

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 折角、北陸まで遠征にきたので、車中泊して二百名山の大日ヶ岳にも登ってきました。

以前は、よく麓のスキー場に来ていましたが、山に登るのはお初です。

 

2022年6月2日 

行程:ひるがの高原駐車場 ~ 一ぷく平 ~ 大日ヶ岳 (帰路往復)

 

簡易水道施設横の駐車場からスタート。

 

このあたりのササは大きくて、葉の表裏共にすべすべしています。笹団子や富山名物マスのすしに使われている笹のよう。

チマキザサでしょうか。

 

ブナの森を辿ります。気持ちいいね。

 

大きな葉っぱのエンレイソウ。

 

やがて、樹林帯を抜け展望が広がりました。山頂が見えてきましたよ!

 

バイカオウレン?花びらが尖っているし、葉が3枚なので少し違うような。(バイカオウレンは5枚)

ミツバオウレンですね。

 

山頂では、大日如来様にお迎えしていただきました。

昨日登った別山と白山がよく見えます。

 

往路を戻り、4時間弱で登山終了!危険個所も無くお手軽登山に最適な山でした。

 

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 ブログ更新が滞ってしまいました。相も変わらずあちこち山行してるんですが・・・。

今回は、少し北陸へ遠征山行。白山南部の秀峰「別山」へ。

6月に入り、ノーアイゼンで辿れる山です。

 

2022年6月1日 

行程:上小池駐車場(大野市) ~ 六本檜 ~ 三ノ峰 ~ 別山(帰路往復)

 

自宅を未明に出発しましたが、打波川沿いの林道を走る頃にはすでに8時を回っていました。

遠くに、本日のお山「別山」が見えます。

 

上小池駐車場から登山スタート!「かみこいけ」とか「うえこいけ」とは読みません。「うわごいけ」って読むそうな。

早速、ミヤマセンキュウ見っけ。

 

ミヤマキンポウゲも見っけ。

 

ニリンソウも!

 

登山道脇には、ムラサキヤシオツツジ。

 

オオバキスミレだ!地元奈良では見かけない花々があちこちに現れます。

 

六本檜に着くと、展望が広がります。南には百名山の荒島岳が!

 

北には、次に目指す三ノ峰が。

 

稜線に出るとイワハゼ。アカモノとも言います。

 

ハクサンイチゲやね!

 

そして、標高2000mを越えた辺りからはタカネザクラがあちこちに。別名ミネザクラ。れっきとしたサクラ科の木。

6月に花見を楽しんできました!

 

花に見とれているうちに、三ノ峰避難小屋に到着!

去年の夏、白山縦走の際には初日宿泊させていただきました。

 

三ノ峰を越えると、ドーンと本日の山「別山」が姿を現しました。

以前、同じ時期に今回のコースを登っていますが、その時より纏っている雪が多いです。

今年の冬は雪が多かったからね。

 

アイゼン無しで爽快に辿れます。

 

別山平の池もまだ、雪に覆われています。ここは、初夏にニッコウキスゲが咲き乱れる場所。

 

標高2399m別山に登頂!2400mの空気を吸ってきました!

雪に覆われた白山は、未だアイゼンとピッケル必須の世界でしょう。

往路と同じルートで帰路に。

 

下山後は秘湯「鳩ヶ湯温泉」に立ち寄りました。

 

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 ヒノキ花粉も少なくなってきたし、しっかりと歩きたいなー。山もいいし街道も辿りたいなー。でも巷ではガソリンが高騰してるし近場で・・・。で、地図とにらめっこしていて閃いたのが今回のコースです。

高見山~三峰山間の登山はマイカー利用だとどこからスタートしてもピストン山行となり面白味に欠けますし、ただでさえ長い道のりが二倍となります。そのため未だ歩けていない区間。和歌山街道または紀州街道とも呼ばれている伊勢南街道も同様の理由で辿れていません。バス等の公共交通機関はほぼありませんしね。

なので往路を前者の登山、復路を後者の街道歩きとすることで、一石二鳥で楽しめることに。いえ、地質にも最近興味を持ち始めた私としては、月出中構造線露頭地にも立ち寄れるということで、一石三鳥の山行となるわけです。とは言え距離は長いのでサクサク登らないと。

 

2022年4月23日 

行程:松阪市月出 ~ 月出登山口 ~ 新道峠 ~ 請取峠 ~ 高見山 ~ 高見峠 ~ 舟戸 ~ 波瀬 ~ 月出

 

月出の中央構造線露頭地手前に駐車。ここからスタートです。

 

このあたりは、黒色片岩の地質。中央構造線の南側に位置する三波川変成帯の地質です。

 

月出の中央構造線露頭地に到着。ピンクの破線でマーキングしました。右下側が三波川変成帯の黒色片岩。低温高圧型の変成岩です。対して左上側が領家変成帯のマイロナイト。こちらは高温低圧型の変成岩です。本来離れた場所にあるはずの地質がここで接しています。凡そ1億年前の白亜紀にできた断層です。トリケラトプスやティラノサウルスがのさばっていた頃です。日本列島は大陸の一部でした。

 

登山道に入るとヒトリシズカが咲いてました。このあたりでは4月に見かけます。5月になると同じセンリョウ科のフタリシズカが多くなります。ヒトリシズカは1本だけ花序がつくことから命名されていますが、これだけ密生していたら全然シズカじゃないですね!

 

新道峠に到着すると、毎度の馬頭観音様がお出迎え。

 

新道峠から西へ高見山への縦走路に入ります。ヌタ場には獣の足跡が無数に残っていました。毎晩こちらの風呂屋は賑わっているんやろーね。

 

白髪峠には大きな枯木が。大きなサルノコシカケがたくさん付いてます。樹木を分解する菌類ですが、生きた樹木に付いた場合は腐らして枯らしてしまいます。以前、我が家のシンボルツリーだったミモザの木が強風で倒れてしまったことがありました。処分の際に根本の裏側に大きなサルノコシカケが付いていたことがわかりました。蝕まれて弱っていたんでしょうね。

 

縦走路中間点の請取峠を通過。高度を300mほど下げました。ってことはここから再び登り返さないと。

 

急登が続きます。

 

リョウブやミズナラの快適な尾根歩き。GW頃には新緑に彩られるんでしょう。

 

高見山のシルエットが浮かんできました!

 

大ガレ越しの高見山。山頂までもう少し。長い縦走路でした。

 

高見山山頂!久しぶりです。

 

高見峠からは本日第2ラウンドの伊勢南街道の街道歩きです。車を駐車している月出のスタート地点に戻らないと。

 

大きなブナがありました。江戸時代のおかげ参りも見守ってきたんでしょうね!

 

蘇我入鹿の首塚とも言われている五輪塔。鎌倉時代のものです。五輪って上から空輪、風輪、火輪、水輪そして地輪という宇宙の構成を表しているそうな。

 

山道を下山すると舟戸の集落へ入ります。昔は旅籠もあったよう。今は、俗世界から隔たれた美しい場所です。初瀬街道(伊勢北街道)の垣内宿の雰囲気を思い出します。

 

振り返ると高見山が。大ガレがしっかり見えます。

 

辿っていくと波瀬宿場に到着。街道の面影がよく残っています。

 

虫籠窓に連子格子、犬やらいと三拍子そろった町屋。いいね!

 

清流、櫛田川に沿って月出までとぼとぼ戻りました。

駐車場に到着した時は、すっかりあたりは暗くなってました。

 

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 朝明渓谷から奇岩を巡ってきました。

 

2022年4月2日 

行程:朝明渓谷 ~ 中峠 ~ 大瀞 ~ お金明神 ~ 根ノ平峠 ~ ブナ清水 ~ 国見岳 ~ 根ノ平峠 ~ 朝明渓谷

 

鈴鹿山脈山行の中心地、朝明大駐車場。釈迦ヶ岳へ北上するもよし、御在所岳や国見岳へ南下するもよし、杉峠方面へ西方するのもいいね!無料駐車場だったらなおいいんだけど・・・。500円徴収されます。

 

キブシが鈴なりに開花!舞子さんの簪みたいやね。

 

中峠へは、ガレ場を辿ります。

 

振り向けば、釈迦ヶ岳の粋な姿が見えてきます。

 

まだ、早朝は冷え込んでます。霜柱を踏みつぶしながら高度を上げていきます。

 

中峠から一旦下り愛知川との出合い大瀞に到着。岩上を飛びつたい対岸へ。

 

ヒノキの葉?と思いきや、アスナロでした。葉裏の模様がヒノキと異なります。

高級建材であるヒノキのように「明日にはなろう」とのことから命名されたよう。

しかし、材の殺菌作用である「ヒノキチオール」の含有量はヒノキよりもずっと多いそうな。

 

林の中の登山道を辿ります。

 

ドーン!お金明神です。神々しいお姿やね。

大金持ちに!とまでは言いません。少しお小遣いを増やしてほしいです。

 

次の目的地、国見岳を目指して、愛知川を上流へ遡ります。

 

根ノ平峠をいったん越えます。

 

ブナ清水ではバイカオウレンが咲いてました。本日は他に花を見かけませんでした。

 

尾根に出るとキノコ岩が。後から置いたような造形。

 

青岳から国見岳のボリュームのある山容が望めます。例年より多く雪をまとった姿はまだ寒々としてます。

しかし、あとひと月もしないうちにアカヤシオでピンクに染まる山容が見れますよ!

 

山頂にある石門。くぐれますが行き止まり。

 

桃岩なんてのもあります。

鈴鹿山脈中部と南部の地質は風化し易い花崗岩です。亀裂の入った岩盤が隆起して風化する過程で、長い年月をかけていろんな姿の奇岩ができあがっていきます。ブラタモリにも来てほしいね!

 

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 コンパクト浄水器を装備しました。
山の水って冷たくて美味しいですよね!
とは言え、動物や別の登山者の排泄物等も混入していることはゼロではありません。
私も、以前北アルプスの沢水をそのまま飲み、数日下痢が続いたことがありました。

最近では、北海道のキタキツネが感染源だったエキノコックス症が愛知県の野犬からも検出されたそうな。
エキノコックス症に罹ると、最悪死にいたる怖い病気です。
感染してから発症するまでに10年程度要するそうなので、山の水をよく飲んでいる人はすでに罹っているかも・・・。
私も極力沢水は煮沸して飲むようにしていますが、時間も要するし山の水ならではの冷たさは得られません。

そんな訳で、山用のコンパクトな浄水器が普及しているようなので使ってみました!

ボトル型ですが、折りたたむことができ軽量・コンパクトです。

 

浄水器の核心部です。0.1ミクロンのフィルターが微生物や微細なゴミを回収してくれます。

 

ボトルに沢水を入れて。

 

フィルターを通って濾された水がすぐに飲めました!

浄水能力は1000リットル分とのこと。繰り返し使えます。

泥水でも飲めるようです。(すぐにフィルターが詰まりそうですが)

防災時用に家庭に備えておくのもいいでしょうね。

 

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本日迄の近鉄フリー切符があったので、中山道の続きを辿ってきました。

東へ進むにつれて、だんだんアクセスに時間と資金が必要になっていきます・・・。

 

2022年3月28日

行程:赤坂宿 ~ 美江寺宿 ~ 河渡宿 ~ 加納宿   ~ 新加納立場

 

はるばる美濃赤坂駅に9時30分過ぎ着。奈良の最寄り駅を始発に出てきたんですが・・・。

早速スタート。赤坂宿の裏通りも昔の面影が強く残ってます。

 

前回はここまで辿りました。本陣を勤めた矢橋家住宅。国の重要文化財です。重厚やねー。

中山道と交差して南(左奥)へは養老街道が、北(手前)へは谷汲巡礼街道が通じています。

 

木曽川支流の杭瀬川の舟運を利用して、こちらの赤坂湊は河川交通の要衝だったそうな。

 

未だ蕾の桜並木。ヤドリギがよく目立ちます。半寄生植物です。

 

黄色い花を咲かせてます。桜の養分を吸い取ってるんやろね。その分、桜の開花が遅れてるんかな。

 

二ホンタンポポが咲いてます!春やね!ん、なんか白いタンポポが混じっている!

 

アルビノ種のタンポポなんかな?

 

街道を辿ります。ここは戦前まで松並木でしたが、今その面影は残っていません。戦時中に戦闘機燃料の補充に松根油の採取のため全国街道の松が伐採されました。愚かやね。

 

美江寺宿の美江神社。

 

境内に高札場が復元されてました。

 

シデコブシですね。東海地方に分布しているようです。

 

河渡宿の馬頭観音堂。

 

頭が馬のものもありますが、こちらの観音様は馬の頭飾りが施されています。馬の守護仏ですが、畜生類を救う神様でもあります。

 

美濃路は、全般的に往事の面影があまり残っていないように感じます。第二次大戦や明治時代に発生した濃尾大地震により焼失したものと思われます。

 

街道沿いには秋葉神社があちこちにあります。近江路では愛宕神社をよく見かけましたが、やはり火伏の祈願なんでしょう。

秋葉神社総本社は静岡県浜松市にあります。東海から関東にかけて特に多く点在しています。祭神は火之迦具土神。愛宕神社の加具土命と同神です。

 

加納宿中心部から東側はカラー舗装に変わり、少し昔の雰囲気の残る街道筋を辿ることに。

 

桜が七部咲きってところでしょうか。綺麗やね!

 

手力雄神社。祭神は力自慢の天手力雄命(アメノタジカラオノミコト)。天照大御神が天岩戸に隠れた時に、引きずり出して岩戸の扉を遠くへ放り投げました。ちなみに、その放り投げた扉が戸隠山になったそうな。

 

境内には国家「君が代」に読まれているさざれ石が置かれていました。石灰質角礫岩です。石灰石が雨水に融解し、小石を集結して再び固まってできあがります。砕石の割合が大きすぎたセメントのよう。全然違いますが。

 

加納宿と次の鵜沼宿の間は四里十町(17.4km)あります。距離が長いので、中間点に新加納立場が設けられました。

皇女和宮もここで一服されました。

 

今回はここまで。帰路につくことに。次回からは日帰りは難しそうかな。

 

 

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 以前から気になっていた周回コースを辿ってきました!近場の山ですが、登山レポの情報が少ないんで躊躇してました。

山行した感想ですが、杉谷~コウベエ矢塚間の破線ルートはほとんど歩かれてないようです。しかし、ところどころに赤テープがありますのでよく注意すれば辿れるかな。ただし、激急坂がありますので体力必須ですね。

 

2022年3月25日 

行程:杉谷 ~ コウベエ矢塚 ~ 伊勢辻山 ~ 雲ヶ瀬山 ~ 高見峠 ~ 小峠 ~ 杉谷

 

国道166号線から林道に入ります。結界門のようなゲートをくぐります。

 

当分林道歩き。あちこちにコケの群生が。少し観察していくことに。

 

アツブサゴケかな?

 

トサカホウオウゴケか?

 

これはタマゴケでしょう!朔が球状です。

 

林道終点からは尾根に取り付きます。梯子らしきものは朽ちています。

 

激登り。一応わずかに赤テープが残っている箇所がありますが、破線ルートを忠実に辿るのは至難の業でしょう。

 

はじめまして!コウベエ矢塚に到着!道迷いと急登でこの時点ですでに体力消耗してしまいました。

 

コウベエ矢塚からは伊勢辻山を目指して尾根歩き。大又からの登山道と合流しました。

 

でっかいアカマツでお馴染みの伊勢辻山山頂に到着です。

 

南正面に薊岳が望めます。まだしっかり雪を被ってますね。

 

次は高見峠目指して北上します。道標もしっかりしていて、コウベエ矢塚までの登山道と比べるとハイウェイですね。

 

雲ヶ瀬山山頂。高見峠へもう一息。

 

気持ちよさそうなヌタ場やね!毎晩シカさんやシシさんで賑わってるんやろね。

 

高見峠到着!当初、高見山を踏む予定でしたが予想以上に体力消耗していたので、杉谷へ下ることにしました。

 

本日辿った稜線が一望です。右手のピークがコウベエ矢塚、中央奥が伊勢辻山、そして左手が雲ヶ瀬山。ようやく周回できました!

 

杉谷から高見峠へ通ずるこの登山道は、江戸時代は伊勢南街道として紀州藩の参勤交代に利用されました。しかし、流石に数千人の大名行列を引き連れて、この峠を越えることは困難だったよう。紀州藩から徳川将軍となった吉宗が登城する頃には大阪へ北上して東海道に接続したそうな。

この石畳は往事のものなのか?

 

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 3月に入り急に暖かくなってきました。寒がりな私ですが、ようやくアクティブな山行へ。

 で、チョイスした山は三重県大台町の古ヶ丸山。以前、白倉山から東進して山頂に至ったことがあります。その時は、山頂手前でクマさんに遭遇しました。クマさんの方から一目散に逃げていきましたが。

今日は、クマ避けスプレーとクマ鈴持参です。

 

2022年3月12日 

行程:犂谷公園 ~ 柁山 ~ 清治山 ~ 古ヶ丸山 ~ レンガ滝登山道 ~ レンガ滝 ~ 犂谷公園

 

 出発は犂谷公園からいきなり取りつきます。

 

 早速マンリョウがお出迎え。鈴なりやね。

 

 尾根づたいに急な登山道を辿ります。

 

 柁山に到着!ここから南方には、鰔谷高や七ツ釜高の鋭峰が見渡せます。一般登山道の無い山々ですが、てっぺんはどんな処か気になります。

 

ブナが現れました。

 

 ヒメシャラやシャクナゲも。5月頃再訪すべきやなー。

 

 コウヤマキの自生地です。 コウヤマキはコウヤマキ科唯一の植物。一科一属一種の珍しい植物なんよ。秋篠宮親王の御子息の悠仁親王のお印でもあります。

 

 最後急な岩場を登り詰めると山頂に!台高山地が見渡せる展望地です。

 

 今月号のヤマケイにレシピ(レシピというほどのものではありませんが)が載ってたので、早速試してみました。スープの素に少量の水を加え、パックごはんと混ぜながら煮るとあっという間にリゾットの出来上がり!

食材費100円もかからず、調理時間は5分程度。

定番化しそう。

 

 下山はレンガ滝登山道へ。

 

 途中、ガレ場は落石等注意を要します。

 

 レンガ滝へ、朽ちた梯子が連続します。

 

 レンガ滝。水量こそ少ないですが、美しい名瀑ですね!

 今日は誰一人とも会いませんでした。この山に登ったのは私一人だったんでしょー。

 あークマさんにも会いませんでしたよ! 

 

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 昨年末に辿って以来、中断していた中山道。今冬の寒さと積雪で見合わせていましたが、ようやく春の気配との天気予報に早速再開。

 

2022年2月25日

行程:醒井宿 ~ 柏原宿 ~ 今須宿 ~ 関ケ原宿   ~ 垂井宿   ~ 赤坂宿


前回、ゴール地点の醒ヶ井駅からスタート。ってしっかり積雪残ってます。

 

醒井宿三名水の一つ「居醒の清水」がある加茂神社。

まだ朝も早く、冷たい水飲む気にはなれません。

 

日本武尊は、伊吹山の大蛇を退治しましたが、その猛毒で発熱して、この水を飲んで回復したそうな。

あれっ?伊吹山で退治したのは、白い猪じゃなかったっけー?古事記と日本書紀では少し話が異なります。

 

 ところどころ松並木が残っています。街道筋には、日除けのため松並木が整備されましたが、現在では残っているものも少なくなりました。

 そもそも松の寿命が300年程度と長くないこと、また近世の開発で伐採されたもの、また松くい虫等の食害で枯れたもの・・・。現在残っているものは、往事の面影を残す貴重なものですね。

 

 同じ近畿でも、このあたりは積雪が多いです。

 

 今も柏原宿で「伊吹もぐさ」の店を営む伊吹堂亀谷左京店。店内には名物の福助人形が置かれていました。

(撮影禁止とのこと。残念。)

 

 このあたりは楓並木となってます。北国ならではやね。って北国じゃないけど、この景色見てたらそう思ってしまいます。

 

 近江の柏原宿から美濃の今須宿の間にある「寝物語の里」

 滋賀県と岐阜県の境界です。中央の溝を挟んで昔旅籠が建っていたそうな。それぞれの客は寝ながらにして、他国の人と話ができたことが名前の由来。

 岐阜に入ったよ!

 

 今須峠への坂道は未だ積雪してます。

 

 歩くと、脛まで雪の中に入ります。登山靴じゃないので、靴の中は冷たい水に濡れました。

 

 常盤御前のお墓。源義経のお母さんです。中山道は、鎌倉時代の伝承地が多いです。特に義経に関するものがね。

 

 関ケ原宿へ街道を辿ります。松並木がチラホラと現れます。

 

 関ケ原は、歴史の転換に当たる大きな戦いが繰り広げられた場所です。

 皇位を争った古代日本最大の内乱「壬申の乱」で、戦いを制した大海人皇子がここに布陣しました。

 それに倣って、関ケ原の戦いでは徳川家康もこの地に最初の布陣をしきました。

 ちなみに、大海人皇子は布陣の際に兵士に桃を配ったそうな。それで、この地は「桃配山」という地名が付いています。

 

 垂井宿手前にある垂井一里塚。国の史跡に指定されています。国の史跡に指定されている数少ない一里塚。

現在、街道筋にある一里塚のほとんどは、一里塚跡であり復元されたものが多いですね。

 

 美濃路追分。中山道は左の方向へ。右は美濃路です。東海道宮宿につながります。

 

 一里塚跡には常夜灯が建っています。「大神宮」と刻まれています。江戸時代の庶民の旅は、本音は物見遊山の娯楽の旅だったようですが、建前は、伊勢神宮へ参拝するという巡礼の旅でした。

 

 街道沿いにある教覚寺の鐘楼。石垣をよく見ると。

 

 フズリナの化石が露出してます!フズリナは絶滅した2億5千年前の原生動物。海底に沈んで石灰岩となり、その後隆起して切り出され、そして石垣になって、こうやって見ている。不思議な感覚です。

 

 赤坂宿で本陣を勤めた矢橋家の町屋。重厚感あります。国の文化財に指定されてます。

 

 美濃赤坂駅から帰路に。次回から、スタート地点がどんどん遠くなっていきます・・・。

 

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