学を得ると言うのは、服に付いた米粒を取るようなものだろうか。

一見、取っても得をしない、

けど、取らなきゃ気になる。


学のあるものは、服に付いた米粒を恥ずかしいと判り取る事が出来るが、

学のないものは、これが自分だと学のないことも服に付いた米粒をも恥じようとしない。


恥を知れとは、学を知れと言い替えれるなぁ。


ある分野では、学があるのがあたりまえで、

ある分野では、学があるのがめずらしい、学が無いやつらばかり集まってる。

なんてのはよくある話。

なんか、米粒だと思うと、それが当然だと判りやすい。


米粒は、時間がたつと、固まって取れにくくなるもんだなぁ。


取り残した米粒は、服の見えるところじゃなくて、見えないところに残ってるもんだなぁ。


今から取ろうと思ったら、合わせ鏡で、自分をしっかり見つめて、

手を伸ばして、手を回さなきゃ、届かないんだよなぁ。



米粒の付いた自分を、恥ずかしいと思えなくなったら、お終いかな。