2006年2月、近所のかかりつけの先生の紹介で、大学病院を受診することになりました。


しかし、

紹介状は書いてもらったものの、仕事が超多忙で、自分では「1週間くらいの間に大学病院へ行こう」と思ってました。これに対して夫から『1日も早く大学病院へいくように!』と勧められ3日後に大学病院へ。受診当日も自分で車を運転して病院へ行こうとした私に、夫は『今日はタクシーで行くほうが良い!』と強い口調。渋々タクシーで行きましたが、結果的には夫のこの判断は大正解でした。



膠原病内科で問診、胸部単純XP、血液検査等をした後、

先生は、『最終的には精査の結果次第だけど、まず皮膚筋炎と間質性肺炎だと思います。しゃがんだら立ち上がれないとか、手足の力が入りにくい事はない?』  (この時、筋力テストでも明らかな筋力低下はありませんでした。)

さらに『入院が必要だけど、いつから仕事休めそう?早い方がいいよ

職場との調整を考えて即答できずにいた私に、

CT診てからまた相談しよう。胸のCT撮って来て』 と。


CT撮影後、再度診察室へ呼ばれて入るなり、『今日、このまま入院!』  (CT所見が、予想以上にかなり悪かったという事のようです)



膠原病だという事も、間質性肺炎だという事も、不思議と冷静に受け止められ、ショックはありませんでした。

それよりも、3月末までビッチリ詰まっていた仕事を誰にどうお願いしようか、という事の方が気がかりでした。



緊急入院という事の重大性も、自分の病状がどれだけ深刻かという事も深く考えず、病棟主治医にも「入院の用意を何もして来ていないので、一旦自宅へ戻って用意をして来たいのですが」と相談するほどノンビリしてました。そんな私に呆れたのか、先生が夫の携帯に電話して病状を簡単に説明してくださり、夫が血相を変えて駆けつけてくれました。


皮膚症状の自覚から、約2ヶ月

空咳が出始めてから、約1ヶ月

発熱から、約20日が      経っていました。

1月23日の近医での胸部単純XPでは所見が見られていません。

それから10日後の、この日の胸部単純には間質性肺炎の所見は認められ、

CTで病状の深刻さが更にハッキリした という状況です。

10日余りの間に間質性肺炎が急速に進行していた、ということのようです。


教訓  『たかが咳と、侮る無かれ』 です。











はじめまして、 さるびあ です。 


皮膚筋炎・間質性肺炎の発病から1年半余り。この間に、今まで仕事以外では縁の無かったネットの世界に飛び込み、多くの皆様との「出会い」を通じて、病気と上手く付き合って生活してみよう! という気持ちになりました。現在小さな不自由は幾つかありますが、職場復帰を目指して動き始めました。


「皮膚筋炎の中でもADMの方のサイトは極めて少ないから、是非HPを立ち上げあげたら?」と、同病の先輩に背中を押していただき、機械物に極めて弱い私が、一大決心で、まずはブログを始めてみることにしました。

PC初心者、国語力「ゼロ」のふつつか者ですが、今の生活、発病からの経過など、ボツボツと書いてみますので、どうぞよろしくお願いします。


☆膠原病は、患者さんおひとり毎に症状も治療法も変化に富んでいます。このブログでの内容は、あくまで、「さ

  るびあの場合」としてごくださいませ!!



~ ブログタイトルの由来について ~

再燃後の入院中、精神的に一番落ち込んでいた時に書籍「ありがとう」(絵門ゆう子 さん 著、 エム ナマエ さん イラスト、PHP出版 http://www.asunet.net/emon/book3.htm  ) と出会いました。絵門さんの前向きなメッセージとエム ナマエ さんの暖かなイラストに触れ、それまでのマイナス思考のドン底状態から抜け出すことができました。以来、いつも、何に対しても「ありがとう」の気持ちでここまで来ました。

ブログを始めるにあたり、タイトルはこれしかない!と即決しました。

<参考>


血液検査データ(病院によって、データ・基準値に違いがあります。今回提示のデータは近所の病院でのものです。今後登場予定の大学病院でのデータとの単純比較はできないと思いますが、参考までに載せます。




 2006年1月23日  CRP(5.4 H) CK(100) GOT(41) LDH(359 H)


2006年1月30日  CRP(6.3 H) CK(182 H) GOT(69 H) LDH(470 H) IgG(1071)