1982年12月に発行された
福田俊次(ふくだとしじ)著「仙人動物夜話」※1より↓以下抜粋。
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(注)   日光から姿を消した野鳥

江戸時代まで、日光にタンチョウとクマゲラが住んでいた。タンチョウは、一七九〇年頃までは、戦場ヶ原で繁殖していたらしく、「日光山志」※2に興味深い記述があるので、そのまま一部引用してみたい。
「土人三社権現の神鳥なりと号す。むかしより一番(いちつがい)のみこの原にすみけり。雛を養ひけれど、いづちかへ翺翔し去りて、丹頂の番(つがい)ばかりここにすめり。四、五〇年前迄は、原野の中に遊び居たるを、湯元へ往反する旅人にも驚かず、それゆえ近く見たるものも有りしかど、近来は見るものなき由。」
 後半、この霊鳥も、草原に分け入って姿を探す者がでてきたので、近未来見ることができなくなってしまったと嘆いている。
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ここで言う「土人」とはアイヌ民族を指しているではないか。
タンチョウをアイヌ語ではサロルンカムイ(湿原の神)と呼びタンチョウの舞をモチーフにしたアイヌの舞踊なども伝えられている。

「ふたら山の原初である二尊信仰は、仏教的荘厳が加えられて三尊に発展し、主峰のみならず周囲の山々を包含し、「日光三所権現」に展開していく。」(小島喜美男/奥日光)

日光山の主峰男体山に加え女峰山、太郎山をもって「三所権現」となる。
「三社」とは「三尊」であり「三所」となる。タンチョウに加えクマゲラ、フクロウなどのアイヌの神鳥(霊鳥)を三尊になぞり仏教的表現をもって「土人三社権現」と紹介したのではないだろうか。

上記したタンチョウ以外の鳥はあくまでも私の想像ですが、簡単に紹介してみましょう。

クマゲラは現在、東北や北海道に分布するキツツキの一種。アイヌ語では「チプタチカップカムイ」と呼び、ヒグマの場所を教えてくれたり、丸木舟の作り方を教えてくれた神鳥であるとアイヌの伝承もある。

そしてフクロウもアイヌにとって特別な存在で「コタンコロカムイ」と呼び、村(=コタン)を見守る神としてアイヌ神話にも多く登場する鳥としても有名。

日光山志の中で紹介された「土人三社権現」という言葉の中に見え隠れするアイヌ民族の存在をはっきりと証明するにはもう少し勉強をする必要がありそうですが、奥日光の森や湿原にアイヌ民族の小さな足跡を見つけた様な気もします。

最後に。
日光市の興雲律院(こううんりついん)中川光喜住職は講義の中で「土着の人たち」という表現ですが、アイヌらしき狩猟民族の存在を認めています。
「むやみに川と川の間をよそ者が勝手に自由に歩けたかというと、これは土着の人の許可がなければ動けなかったでしょう。」と話す。
そして大谷川の激流に阻まれた勝道上人※3が深沙大王※4に助けてもらった神橋(山菅の蛇橋)のエピソード「土着の人が現れて了解してくれたのかと。」と解釈し、「先ほどの深沙大王が出てきて橋を渡してくれたら所は、ちょうど稲荷川と大谷川の合流点なのです。川がぶつかってっている場所です。この川がぶつかっている場所は、古来、狩猟民族の祈りの場所なのです。」と説明している。(日光輪王寺第87号平成31年1月)

この神橋のくだりは日光山輪王寺が監修した劇画コミック「SHODO-勝道上人伝-」の中でアイヌ風の土着の人たちとのエピソードとして描かれています。

あまり語られていない日光山におけるアイヌ民族の人たちの足跡をもっと知りたいと思う。そして更に深く掘り下げる事が出来たらと思います。

※1「仙人動物夜話」は現在廃刊。中古本市場にもなかなか出てこない希少な本ですが、図書館には有ることも。

※2「日光山志」天保8年(1837年)刊
地誌。日光山に関わる歴史・地理・祭事や日光山八景の詩などを図入りで解説した書。華厳滝の岩燕など鳥や植物図は
色刷りで示している。

※3 「勝道上人」は日光開山の祖。

※4 「深沙大王」三蔵法師を助けた守護神。首に髑髏の首飾りを付け、象の顔の付いた皮の半ズボンを履いている。


◼️追記◼️
アイヌ伝統の舞踊「ハララキ 鶴の舞」は、タンチョウ鶴のひな鳥が親鳥から飛び方を教わり、空へと旅立つ様子を表現。
↓NIKKEI THE STYLE 2019 / 12 / 22 (日) より