GIDの診察日記 -5ページ目
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生活歴(児童期)

私は、19**年8月2日3,000gに満たず、未熟児として、生まれた。音譜


私は、普通の子供たちより発育が遅れてしまっている。

私の歩き方が、悪いだと気がつき、その症状は、「先天性脱臼」と診察された。ガーン

4歳の頃、その手術を行った。3週間入院でした。


づいてに、耳が聞こえなくなったということが知ったのは、3歳ごろに耳の精密検査を行い、

それも「先天性難聴」ということも診察された。


補聴器を使い、遠い所の学校に通っていました。


さて、さて、私が、「女?」と気がついたのは、いつから始まったのは、はっきりしませんが、

小学の入学の時なのか、小学生の低学年のその辺りには、はっきりしています。


テレビを見ていたからね、女性のお洋服に憧れていたんですね。


◎服装は、どのようなものをきていましたか?どのような思いでしたか?

あくまで、普通の男の子の洋服です。 たまには、スカートを穿きたいと思うときがあった。


◎制服がありましたか?どのようにしていましたか?

制服らしいものはなかったのですが、私服ですね。


◎入学の時のランドセルの色は何色でしたか?どのような思いでしたか?

黒のランドセルでした。別に気にしませんでした。ただ嬉しさいっぱいで。


◎小学校の授業では?

 ○体育の着替えはどうしていましたか?

 教室で着替えしていたと思う。

 ○水泳の時、水着はどうしていましたか?

 男子用の水着を着ていた。


◎教師から男らしくしなさいと強く叱られたことがありますか?

あるそうなないそうな


◎両親から男らしくしなさいと強く叱られたことがありますか?

あります


◎小学生のごろのご自身の性格特徴は?どんな子供でしたか?

スポーツ大好きな子 歌手の真似をする子


次は、思春期・青年期です。

家族

うちの家族は、父、兄そして私、三人家族構成です。ニコニコ


父親は、現在70代で、定年無職ですし、近くの畑で耕したり、頑張っています。霧

母親は、平成17年3月16日に息を止めた。しょぼん

両親は、中学卒業で、高校に行ったことはないそうです。(@ ̄Д ̄@;)

196○年2月に両親が結ばれたそうです。


祖父母では、母方の両親は、私の生まれる前に亡くなられているので、世間では、知りませんが、しっかりした祖父母だったそうです。耳その祖父母との間に生まれてきた8人の子供がいて、貧しい生活をされていたそうです。

父方の両親は、私の生きている間に、接待してるので、とても優しい祖父母でした。

その祖父母との間に生まれてきた7人の子供がいて、きっと幸せな生活していたんでしょうね。ニコニコ


私の兄弟では、たった一人の兄がいます。2つ上の兄ですが、毎晩お仕事の帰りが遅くても、頑張っていますパンチ!


父とは、私は、1直勤務の時に、夕食だけ一緒に食べています。ラーメン

しかも、二・三直勤務の時に、一人で食べています。


両親は、一度も離婚はしていませんが、父は未亡人なんです。ショック!母が生きている間に、時々喧嘩もありますニコニコ

住居の状況は、新築3年目で2年前に母が亡くなり、現在は、父と兄と三人暮らし。

経済的安定度は、普通かも。父は、老人厚生年金、兄と私は、給料で使っている。

近隣(近所)との関係は、すぐ隣に叔父さんの家にある。

家庭がある地域の特徴は、市街地で、坂が多いし、S字カーブのあるところが多い。


という感じの我が家の状況です。得意げ


星次は、生活歴です。

GID診察日記1

10月15日(月)


今日は、サリーにとって、初診日でした。


場所は、埼玉県川越市にあるかわごえクリニックに行ってきた。

そのクリニックは、ジェンダー科だけじゃなく、ペイン、東洋医学

ジェンダー、こどものこころ、スポーツ医学など8科があり、

その中で、サリーは、ジェンダー科として、診察している。


クリニックの扉を潜り、受付へ。

初診なので、名前とかの手続きして、待合室へ案内された。


受付係が問診書の記し方を説明してくれ、2枚目のも

ありのままに書いてた。


見知らず女性が現していたのは、通訳者でした。

埼玉県聴覚障害者情報提供センターでの

手話通訳登録者らしいですが、その名は、Mさんでした。


サリーは、耳が聞こえないので、どうしても手話通訳

が必要ですよね。


サリーを呼んでくるまでの間、通訳のMさんといろいろ

話したりしました。


呼んできて、いよいよ診察室へ。


その先生は、ジェンダー精神専門医の塚田医師でした。


内容というと、あくまでカウンセリング...。

サリーの生まれた時から現在までの生い立ちに

ついて話したりしたりした。


自分が「女」と気がついたのは、7~8歳だったと思います。

その以前はあまり覚えていないのですが、その頃は

はっきりと覚えています。


その頃はテレビを見て、可愛い服を着ていることに憧れて、

女装への道に。

中学になって、学生服を着ていくことや、水泳パンツを穿いて

いくことを平気か、男として接したり、先輩からの虐めなど。

恋愛相手は、ほとんどが女性が多かった。

セックス相手も女性が多かったけど、現在は男性に求めて

こともあったし。

いろいろ話しました。


最後に希望する肉体改善については、

もし、性転換手術が希望するなら、

埼玉医学大学で性転換手術はやっているけど、

今は、ストップらしいです。来年内でもムリそうです。

そうするなら、外国でやってもらうしかないよね。


様子を見てから、次回から泌尿器科とかのクリニックを

紹介するとありました。


サリーにとっては、性転換するかはっきりしないけど、

もし、もう取ってしまったら、もう戻れないという

覚悟が必要でしょう。


埼玉医学大学かわごえクリニックのサイト

http://www.saitama-med.ac.jp/kc/index.html


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