こんにちゎ魂が抜ける

さぁ、ブログを始めていくぞーーなんて思ってたけど、忙しいーー毎日です笑
皆さんもそうだと思います。

はい、母は日々常にダッシュしておりますDASH!

私も朝からずーっと走ってる気がします。ゲッソリ

色々な方たちに「5人も子供が居て大変ね~」なんて声掛けてくれますが、

実際何人居ても変わらないと思うんですよね。

実際、私は1人目の時から生活スタイルってそう変わってないと思うんですよねキメてる
何で変わるかは、人数ってよりかはその子その子の歳。って思いますびっくりマーク

だから世のママは皆大変さは一緒って思いますニヤニヤ
ただ荷物は多いかな。笑

保育園の子供達にサンタさんって言われます。週明けと週末は。笑

 

そんなこんなで、私なりのペースで進めていけたらなっと思いますにっこり

 

今回は、私の幼少期の話をサラッとお伝えしようかなと思います。

今までの人生であまり誰かに伝えてきたことはないので、

どこまでちゃんと伝えれるかは問題ですが、笑

 

 

    

 

幼少期~中学まで

 

 

私は凄く人見知りな子でした。

そして両親は共に仕事をしており、

今思い返してもあまり触れあった記憶や一緒に時間を共にした

記憶はほぼありません。

 

それでも私は母親っ子でした。

ですが世の中で言う当たり前に過ごす

親子の時間というのは私にはありませんでした。

いつも周りの子達が親と距離が近いのを不思議に思っていました。

 

しかし、両親は自営業で働いており、

それなりに裕福な家庭だったため、

周りからは羨ましがられるような感じでした。

 

私は両親と関わることはほぼ無く、

とても寂しかったのを覚えています。

そして、女はこうあるべきっと、そういう理念のある母親だったので、

こうしなさい。こうするべき。

という躾が多かったです。

 

子供の頃は自分の家の中の世界しか知らずに生きているので

自分の気持ちを知ることもなく

親の言う通りに生きることが良いことだと思ってました。

 

でも私はきっと意思がハッキリあったんでしょうね。

そんな自分の中のモヤモヤに気づきだしたのが、

小学校5年生頃でした。

ただ私の家では親に意見することはとても許されることじゃなく

あり得ない行動と見なされていました。

 

とてもあの頃の私には出来ることではなく、

自分の中に蓋をすることしか出来ませんでした。

そんな日々を送っていた中、

小学6年のある日病気になりました。

朝起きたら耳が聞こえなくなってしまっていました。

恐らく、心が助けを求めていたんだと思います。

辛いっていう気持ちを気づかないようにと

過ごしていたため、自分でもよく分からなかった。

 

その時も母に構ってほしかっただけなのかもしれない。

 

ただ、あまり相手にしてもらえず

結局症状が重くなり、

入院することになったのですが、

その時には既に治る可能性は低く、

小さな体に対し相当な強い薬を入れていたのか、

毎日浮腫みが酷く、子供ながらに辛かったのを覚えています。

最終的にしっかりと改善することはなく退院し、

聴力が戻ったように感じる日もあれば

全然聞こえない日もあったりと

見た目は特に何もないため誰かに理解してもらうことは

物凄く難しく、

何よりも母に理解してもらうことが出来ずで

この辺りから、

私の母に対しての壁が強くなったように感じます。

 

中学に上がり、初めましての子達と関係を築いていく中で

思春期真っ只中のグチャグチャが嫌で

自分を心の中をキャラ化して、誰とでも仲良く過ごすために

ある程度のテンションを保ちながら、

良い感じのキャラで過ごすようになり、

皆に愛されるような存在を確固するようになりました。

 

ただ、もう自分で自分が分からなくなりました。

 

家でも同じように誰かを何かを演じ、

自分の心に蓋をする癖が抜けなくなり、

自分が傷ついてることですら見ないようにして、

気づけば自分は何でココにいるのかなと思うようになりました。

 

でも、それを表に出すことは絶対になくて、

学校で皆に愛される自分も、もう一人の自分が傍観しているようで、

そういう風に過ごすのが当たり前に、

そのうちに自分が何を思っているのかよりも、

この場合は自分はこう思わなくちゃな、と思うようになり

学校では自分じゃないけど、愛されていて嬉しい

家では何か言われるんじゃないかと怯え

気づけば毎日が目まぐるしく休まらなくなり、

本当に辛かった。

地獄でした。

 

 

今思えば、高校に上がるまでの間には

私は自分の心にはほとんど意思があって

自由に表現したり、声に出したりしたかったんだと思います。

 

学校で友達に愛されてる自分も自分の中では辛かったのかもしれない。

 

きっと誰かと普通に自分の気持ちを話したりしたかったんだと思います。

 

これが、私の中学までの生き方でした。